食わず嫌いを返上しようと思った、重松清さん。
図書館に並ぶハードカバーを眺めると、どの話も重厚そうな趣で、パッと手に取ることができません。
まずは「優しそうなもの」から読んでみることにしました。
「子ども哲学」という絵本から生まれた、短編集とのこと。
道徳の教科書に載っているような易しさと分量で、刺激が強すぎることはありませんでした。
でも、教科書とは味わいが違います。
著者が「小さなお話でも、深い問いかけを込めたつもりです」と言うだけの深みが、たっぷり感じられました。
考えながら読む
読みながら、いろいろ考えました。
嫌いな人や苦手な相手がいる中で、価値観の違う人間同士が共存する作法は、やっぱり身につけておきたいな、とか。
たくさんの知識を持っているのは素晴らしいけれど、実際に行動できる知恵も必要で、それは人生を進む車の両輪のような力だな、とか。
「自分しかいないときの自分って、よくわからないよ」という台詞で、自分ってそもそもどうやって認識するんだっけ? と。
さらに読み進めて、
ぼくはふだん、自分を幸せだと感じることはめったにない。
「やっぱり幸せなんだろうな」と実感するのは、決まって新聞やテレビで悲しいニュースが伝えられたときだ。
自分より不幸なひとがいないと、自分の幸せを実感できないなんて……ちょっとヘンだよな、と思う。
この文章が飛び込んできて、「いじめが終わる方程式」で聞いた、「自分のことは自分では見られない」話を思い出したり。
東日本大震災を題材にした物語では、胸がいっぱいになって、それはなぜかと自分に問いかけて。
日常と隣り合わせにある、普段からそばに置くにはしんどすぎて見ないようにしているもの――どうしようもない死や喪失を、優しい形で意識させてもらっているのだ、と気がついたり。
カントの哲学を思い返したり、とにかく読んでいる最中から、ざわざわと考えがめぐる本でした。
そもそも世界に没頭する性質の物語ではないし、考えすぎてわからなくならないような長さと言葉選びで、実に「哲学」という目的を果たしています。
哲学とは何か
著者の今の答えはこうです。
お話の中身はそれぞれ違っていても、根っこにあるのは、いつも同じ――「不自由」もあんがい気持ちいいものだよ、ということばかり書いてるんだな、と自分で思う。
(中略)
ゆっくり「不自由」と付き合っていきなよ。
時にはいろんな「不自由」が窮屈だったり、うっとうしかったり、文句をつけたくなったりするかもしれないけれど……どうか、生きることを嫌いにならないで。
哲学というのは、生きることを好きになるためのヒントなんだと、ぼくはいま思っているから。
素敵な言葉です。
突き刺さるような物語を目の前に差し出せる作者から出た、「生きることを嫌いにならないで」という思い。
やっぱり、優しい本だった。
私の見立てに、間違いはありませんでした。
次は、じっくり浸る小説に挑戦したいと思います。