昨日の、空想のキャラクターを召喚している話を、もう少し深掘りしてみます。
【その気高さに、憧れている】
毎日ご機嫌に、楽しく生きよう! と思っているのですが、そこはやはり修行中の人間なので。
ぐんと落ち込むことも、怒りを感じて収まらないことも、多々あるんですね。
そんなときには、小公女セーラを召喚しています。
原作本も好きだったけれど、昔テレビでやっていた、世界名作劇場のアニメが大好きで。
オープニングの「花のささやき」という歌が、これまた好きなんです!
#テーマソングが召喚の儀
#そしてなりきる
セーラは悲劇のヒロインで、つらくて理不尽な目にもたくさん遭うのに、
最初から最後まで良い子のまま、ハッピーエンドを迎えました。
その生き方や姿勢は、他人に強要するものではないですし、綺麗事や理想論だと感じる部分もあります。
そればかりでは息が詰まるし、自分がそんなふうに生き続けられるとも思えない。
だけど、子どもの頃、逆境にもくじけず、自分を見失わない“気高さ”に憧れて、
「そうありたい」と思ったことは、私にとって大切な気持ちなんです。
この気高さというのは、私の好きな絵本の「花さき山」にも通じるものがあって。
絵本の中の、
つらいのを しんぼうして、じぶんのことより ひとのことを おもって なみだを いっぱい ためて しんぼうすると、
その やさしさと、けなげさが、こうして 花になって、さきだすのだ。
という一節。
私は二人姉妹のお姉ちゃんで、主人公のあやのように、我慢しなければならないこともありました。
でも「私も、あやのような姉でありたい」と思ったこともまた、はっきりと覚えています。
この、セーラやあやが持っている“気高さ”というのは、私の奥底に置きたい矜持でもあるんです。
いい意味でのプライド、とも言えるのかな。
いつでもそれを全面に出して生きていくことは、私にはできなくても。
自分の魂の中に、小さくひっそりと、だけど確かに持ち続けていたいと願うもの。
逆境で輝かせられるように、そっと磨いておきたいもの。
それが、私にとっての“気高さ”です。
私が召喚しているものたちは、大なり小なり気高さを持っています。
#主人公にしろ悪役にしろ
つまり、そこが私の憧れなんですね。
なんとなくだけれど、心の奥にその矜持がある限りは、
どんな事態に対しても、最後の一線は越えずに、踏みとどまれるんじゃないかなあ…。
自律心にも、効果がありそうな気がしています。