ニーバーの祈り

今日の私。強さって、なんだろう。

…って考えています

【ニーバーの祈り】

先日読んだ小説『風が強く吹いている』の影響ですね。

主人公に投げかけられた、問いがあります。

“「長距離選手に対する、一番の褒め言葉がなにかわかるか」

「速い、ですか?」

「いいや。『強い』だよ」”

そして、自分にとっての強さとはなんなのかを、主人公は次のように言葉にしました。

“思いを言葉にかえる力。自分のなかの迷いや怒りや恐れを、冷静に分析する目。

(中略)

俺に欠けていたのは、言葉だ。

もやもやを、もやもやしたまま放っておくばかりだった。”

それを読んだものだから、改めて考えさせられているんです。

私にとっての強さとは、なんだろう。と。

子どものときは、純粋な体格や、集団内での立場など、目に見える強さしか見えていなくて。

思春期に入る頃に、ようやく、人の強さが肉体だけでなく、精神にあるものだとわかりました。

強い心と、それを実行できる強い体を持っているのが「強さ」。

では、強い心とは、なんなのか。

こちらも昔は、すべてを跳ね返す頑丈さのイメージでした。

やがて、柔らかく見えて、実はしなやかな強さがあることに気づいて。

「勝つ」強さと、「負けない」強さの、似ているようで異なる感覚を知り。

子どもが生まれたときには、世界中の悪意から、この子を守れる力がほしい、と願いました。

産後、頑なに折れない刀のように強さを望んでいた私を、

刃こぼれする前に、少しずつ解きほぐしてくれたのは、

やっぱり、周りの人の柔らかな強さだったと思います。

そうして私の人生を生きてきて、いま私が「強さ」だと感じるのは、これです。

『ニーバーの祈り』。

“神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。

変えるべきものを変える勇気を、

そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。”

自分自身や、目の前の相手や、時代や世界の変化に対する、

知恵と勇気がほしいな、って思うんです。

知恵をもって判断できる。

勇気をもって、受容と変革に向き合える。

そんな強さを、目指したいなあ、と思います。

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