自分の常識は、すべてにおいて絶対的なものではない

次男が、おさるのジョージを見ていました。

ジョージが、おさるの住む星があるかどうか、太陽系を探検していく話でした。

長男は「宇宙におさるがいるわけないよなー!」と、ジョージに突っ込みます。

長女は「だよね」と同意したあと、「でもさ、お母さん」

すごい発言をしたんですよ!

「もしも別の星に、宇宙人がいたとして。

そこでは、私たちみたいな人間が『さる』って呼ばれてて、さるが『ヒト』って呼ばれてる世界だったらさ。

ジョージは、ヒトを見つけたら、それはおさるを見つけたってことになるよね」

私、めちゃくちゃ感動したんですが。

12歳のこの言葉、すごくないですか?

自分の生きている世界では、自分たちは「ヒト」、ジョージは「さる」である。

これが絶対の常識です。

でも、もし世界が違えば、物の名前すら違うかもしれない、ということに気がついているんです!

自己と他者

自分にとっての「絶対」は、必ずしも他者にとっての「絶対」とは限らない。

身近なところで言えば、私が正しいと思っていても、友達が同じように感じるかはわからない、だとか。

広く考えれば、国による文化の違いや、娘が想像したような別の世界の常識にまで及びます。

自分と他者は違う存在なのだと認識した上で、自分の常識は他者の常識ではないかもしれない、という可能性を考えられること。

そのような発言ができることに、大きな成長を感じて、わくわくします。

これは俄然、子育てが楽しみになってきました!

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