ときめきを残す方法

10日ぐらい前、noteとInstagramを同時期にさわり始めました。

【ときめきを残す方法】

noteはそれなりに書いているのに、Instagramはなかなか進みません。

どちらも、好きなものやこと、心が動いたときめきを残そうとしているのは同じなのになあ。

そう考えていて、気がつきました。

「あっ」と思った瞬間、私はそれを言葉で残そうとする癖がある!

カメラを向けて一瞬を切り取るんじゃなくて、言葉でどう表現するかに、思考や感性が振り向けられているんです。

もともとの性質かもしれないし、育っていく中で、絵より写真より音楽より「言葉」にふれて、言葉を愛した環境によるものかもしれません。

#理由はまだわからない

でも、その瞬間のときめきを言葉に残そうとするとき、

“これは絶対に言葉じゃなくてビジュアルだ”とか、

“音のほうがしっくりくる”と、わかるときがあるんです。

まったく論理的ではなく、感覚的なものなのだけれど、

“これは言葉の領域ではない”という直感です。

ただ悲しいかな、今の私が、心の動きをいちばん的確に描けるのは、言葉なんですね。

ビジュアルや音では、感じたものをちゃんと表現する力が、今の自分にはありません。

私にとって、絵や音楽は、そのときめきの瞬間をあとから形にするものなので、AIの進化で解決できるところは大きい気がします。

だけど写真は、あとから生成したいんじゃないんだ!

今この瞬間の気持ちごと伝わるように、いま撮って、ときめきを残したいんだ!

でも、うまく残らない…。

このモヤモヤは、私にとって「写真」というものの解像度が低すぎるためかもしれないと思います。

今この瞬間を切り取る、けれども、きちんと伝わるようにあとから編集する。

そこまでで、ひとつの表現かもしれないとも思うのですが。

自分が実際に撮った写真を見ても、ときめきが乗っているな、とはほとんど感じられないのが悩ましいところです。

よくよく見返すと、そのときめきのかけらを見つけられることはあるにしても。

Instagramは、もちろん写真でなければだめなわけではないのだけれど、画像にしろ動画にしろ、ビジュアルを綴る媒体だなと感じています。

その見た目を生かして文章表現をしておられる方もお見かけするのですが、

私の文章はそちらではない気もして、結局noteやFacebookのほうに行ってしまうんですね。

このあたりが、noteとInstagramの投稿頻度の違いに表れているのだと思います。

今は「ビジュアルで表現すること」の解像度を、もう少し上げてみたいな、と考えています。

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