何も考えずに書き始めたら、どうなるのだろう。
と思って、やってみることにした。
普段の私は、何かしらの言葉ひとつや、起きた出来事をきっかけに、書き始める。
それが日記なら、思考を整理して、読みやすいようにまとめながら。
エッセイなら、文章を肉付けして、粘土細工のように形を整えながら。
詩なら、言葉を削ぎ落とし、宝石のように磨き上げて。
その真ん中には、いつも「核」となるものが、最初に置かれる。
何も考えずに書き始めるということは、核のないものを書く、ということだ。
ダジャレみたいになってしまったが、決して意図したわけではない。
真ん中がからっぽだったので、きっと神様が空席を見つけて、降りてきたのだろう。
それがたまたま、ダジャレの神様だったのである。
考えてみれば、からっぽの場所にしか、新しいものは入れられない。
排泄しなければ、また食べることができないように。
自分の思いを伝えられなければ、ほかの誰かの思いを、心から受け入れることができないように。
とするならば、何も考えずに書き始めるということは、新しい何か――表現方法なのか、話の種なのか、価値観なのか――。
今までの自分にはなかった、何らかのものを手に入れられる、貴重なチャンスなのかもしれない。
これは楽しくなってきた。
ときどきやってみることにしよう。