いま暮らしている家のお話です。
【不要なものにも感謝してみる】
私は今、義家族と敷地内同居をしており、旦那さんと私と子どもたちで離れに住み始めてから、7〜8年になります。
この家が、実はなかなか好きになれなかったんです。
もともとは義家族が暮らしていた離れに、身の回り品だけ持って入らせてもらったので、
基本的に家具家電や調理道具、インテリアはそのままで。
義家族の使っていない物なども、たくさん置いたままでした。
#そのあたりは話し出せば長くなるし
#愚痴な日記は嫌だからおいといて
義家族にとっては思い出の物たちでもありますし、当時は経済的に余裕がある環境ではなかったので。
ありがたく受け取りつつ、できる範囲内でカスタマイズしつつ、整理整頓しつつ、数年かけて、
「ちゃんと“自分が住む家”だと思えて、まあまあ悪くはない環境」に整えて、今に至ります。
ただ、そんなわが家にひとつだけ、謎のタンス部屋があるんです。
婚礼タンスに、使わなくなった着物や鞄やあれこれが詰められているようなのですが、ここは私がいじることはできません。
#たぶん手をつけるのは遺品整理のとき
古い布と樟脳の独特のにおいと、窓のない暗い威圧的な空間は、空気がすごく澱んで重たい感じがして、苦手でした。
ささっと掃除こそするものの、基本的には開かずの間。
でも、この間、ヒューマンデザインの平野 麻子 さんからのアドバイスで、空気の入れ替えと、軽いお清め掃除をしてみたんですね。
そうしたら、物自体は変わっていないのに、不思議とすっきりした気持ちになりました。
それから何となく気が向いて、毎朝、真っ暗だったタンス部屋の電気を点けて、
掃除のついでに抽斗をひとつふたつ開けて換気する…ということをしていたのですが。
今日、扉を開けたときに、お部屋の中に向かって、自然に「ありがとう」ってつぶやいたんです。
無意識だったから、すごくびっくりしたのだけれど、私に足りなかったものは、この感謝の気持ちだったんだな、とわかりました。
今までは、誰も使わない物が押し込められている部屋の存在が嫌だったし、厄介払いしたいとすら思っていて。
だけど、物だって部屋だって、好きでそうなっているわけではないのだから、
私にとって不要なものを愛することはできなくても、適度な距離感で感謝することはできるんだ、って。
“優しい気持ちになるには、「お互いに相容れなくても、適度な距離と礼節を保って、共存する」のがベストかな。”
って、前に日記にも書いたことが、そのまま不要なものに対しても当てはまりました。
そういえば先日、noteで“不安は厄介な感情ではあるけれど、うまく共存できたらいいな”と思った話も書いていた!
つまりは私の中で、全部繋がっている。
自分にとって嫌だとか、不要だと感じるものに、無理をして心を砕いて、そばに置かなければならないわけではないけれど。
ちゃんと存在を認めて、いい距離感で過ごすために、人ばかりではなく、
物にも感情にもすべてに対して、私には「ありがとう」っていう気持ちが必要だったんですね!
それで一気に自身が変化すれば素晴らしいですが、私は凡人なので、すぐ感謝を忘れます。
#にんげんだもの
まずは「忘れたら感謝を思い出せるように」のレベルから、地道にいくことにしますw