ゆったりする、の形

「ゆったり」することについて、考えていました。

【ゆったりする、の形】

私のイメージは「座って」「目の前の世界を」「五感で味わう」だったのです。

だから、座って落ち着いて、お茶を飲んだり、綺麗な景色を眺めたり。

が、ゆったり過ごすことだ、と思っていたのです。

でも、お茶を飲んでいても、ゆっくりと一杯味わう前に、

読みかけの本や、スマホに流れる文章が気になって、読み始める。

綺麗な景色を見たら、それを書きとめたくなって、

ノートやスマホに書き始めて、夢中になっている。

#誰かといるときはゆったりできる

#ひとりのときは気づいたら

#ながら読み書きをしている

なんというのか…そこに文章があったら、読んでいるし、

つらつらと考えているし、あっ! と思ったら書いているし。

「私って、ひとりじゃお茶もゆったり飲めないんだなあ…」

と、実はちょっぴりコンプレックスだったのです。

が。

目の前にあったら、読む・書く・考える。

は、呼吸みたいなもので、読む・書くは癒やしでもあるので、

もはや、無理にそこから離れなくてもいいのでは? と思い至りました。

#むしろお茶が要らない説

#私のゆったり時間は

#本やスマホだけでいいのかもしれない

読むこと、書くことを、なぜ「ゆったり」だと考えていなかったのかというと、

文字情報から、意図的に離れてみる時間は、必要だなと感じていたから。

自分の心地よいインプットの種類や、アウトプットとの割合を保つために。

あと、周りを見るために!

#読み書き中のお母さんは使い物にならないと

#子どもたちに笑われてます

ただ、読む・書く・考えることから離れる=ゆったりする、ではないらしい。

むしろ、存分に読めて、書けて、思考に没頭できる時間のほうが、

私にとっての「ゆったり」なのかもしれない!

そう視点を変えてみたら、私すごく「ゆったり」しています。

#これを書いてる時点でw

「あれも読みたい、これも書きたい。時間が足りない!」

だった時間の概念が、認識ひとつで180度変わるの、おもしろいですね。

私は、今日も「ゆったり」、過ごしています。

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