母親からの小包はなぜこんなにダサいのか(原田ひ香)

ああ、実家の母の小包も、こんなだったなあ。

一人暮らしの部屋で開けた、使い古しの段ボール箱を思い出しました。

【母親からの小包はなぜこんなにダサいのか(原田ひ香)】

一部は繋がっていますが、独立した六つの短編が収められた本です。

第一話は、私が家を出た頃を彷彿とさせるものがあって、

“これは母と自分との、長い戦いのゴングなのだ。”

始まりの小包の物語を、きゅっと唇を引き結んで読みました。

そこからひとつずつ、箱をほどいてゆくようにページをめくり、最後の小包まで、開き終えたとき。

昔、ささやかに文句を言いながら、なんとなく感じていた親の愛情を、

「母の小包」たちから、改めて受け取った気持ちでした。

「母の小包」のダサさって、個性豊かな、規格外れの歪なお野菜みたいな愛情なのだけれど。

同時に、母のリアルさであったり、背中を押してくれる思い出が、詰まっていたりするんですね。

私は、ありがたくも家族のある身だったので。

母も、自分と同じ人間で、一生懸命に生きてきたんだな。

私とは形が合わなかったとしても、愛情を注いでくれたんだな。

母のリアルな人生が、子の背中を押してくれることが、あるんだな。

ひとりの人間として、しっかり関わって、愛してもらっていたんだな。

そんな感情が、忙しく体をめぐっていきました。

わが家にも、来年、高校を卒業する子どもがいます。

小包を送る側の気持ちも、だんだんリアルに想像できるようになりました。

一人暮らしをするのか、家にいるのか、まだわからないけれど。

「あれも好きだったな」

「ここ、もうちょっと入りそうだな」

って、なんでも詰めてしまいそうです。

その際は、愛情たっぷりのダサい小包、送りますね(笑)。

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