カップ焼きそば。
それは、思春期男子を育てる私の、冬に輝く一等星。
「お腹すいたー。なんかない?」
その台詞、人間として、ごくまっとうなものだろう。
ただし、たったいま夕飯を食べ終えたばかり、という状況でなければの話だ。
「えー、いま食べたとこじゃん…太るよ」
思わず嫌味が口をついて出てしまう。
ごはんを作ったあとに、再びごはんを作りたくない。
想像しただけで、コタツから抜け出す気力を根こそぎ奪われるぐらい、億劫だ。
夕飯で米を食べるので、夜食なのかデザート食なのかわからない食後には、
わが家の思春期男子は、パンや麺を好む。
冬は寒いので、あたたかいものが食べたい。
といい、ラーメンやうどん率が高かったのだが、それにも飽きたという。
なんと贅沢かつ遠慮のない食欲なんだ。
「なんかないのー?」と戸棚を漁る、思春期男子。
その目に飛び込む、カップ焼きそば。
「これ食っていい?」
もちろん、いいとも。
3分でできる。君にもできる。これなら私の出番はいらぬ。
彼が手にしたカップ焼きそばは、救世主が生まれた日の星のように、燦然と輝いている。
彼がカップ焼きそばを作る姿を、私はじっと見ている。
くしゃ、と外側のビニールが剥がされ、捨てられた。
蓋を開ける前に、お湯の必要量を確認し、ポットの残湯量にちらりと目をやるあたり、しっかりしている。
タイマーをあらかじめ3分にセットしておくところも、抜かりがない。
彼はいつも、そうっと蓋をめくる。
まるで、点線を1ミリたりとも超えてはならぬというような、真剣な面持ちで。
小袋をつまみあげて取り出し、かやくをていねいに麺の上にのせていく。
お湯を注ぐときも、カップの中を凝視している。
ラインを0.5ミリたりとも超えてはならぬというような、気迫に満ちた表情で。
タイマーが鳴り響き、お湯を捨てるときにも、湯切り口をやさしく剥がす。
最後の一滴の湯切りまで、真摯に麺と向き合っている。
わが身をふり返って、自分の適当さに打ちのめされるのは、こんな瞬間だ。
適当に蓋を剥がし、かやくをじゃらっと落として、適当にお湯を入れる。
タイマーもかけない。
多少の質量や時間の差が何だというのだ。
適当に作っても、誰が作っても、カップ焼きそばはおいしくなると決まっている。
とまあ、私は大ざっぱな性分なのであるけれども、
しかし指定された作り方に沿って完成したカップ焼きそばは、
おいしくできる中でも、おいしくできる部類に入ることもまた、知っている。
以前に一度、彼の作ったカップ焼きそばを食べたことがあるからだ。
作り方のとおりに作ると、キング・オブ・おいしいカップ焼きそばになるのである。
君のその繊細な行動や心配りは、恋人ができたら、ぜひとも発揮してもらいたいものです。
カップ焼きそばを作る姿に、未来の恋人を重ねられていることなど知る由もなく、
彼の手に握られた箸は、無駄のない円を描きながら、ソースを混ぜている。
香ばしい匂いが、こちらまで漂ってくる。
ソースものというのは、どうしてこうも破壊的に食欲を刺激するのだろう。
ごはんのようであり、ごはんのようでなく。
どちらだってかまわない、おいしく食べられることが正義なのだと言わんばかりの、
食べものとして、いや食文化としての誇りがまぶしい姿。
数あるソースものの中でも、3分でできあがるカップ焼きそばの、潔さ。
冷凍庫にある、たこ焼きだってお好み焼きだって、もう少し時間がかかるというのに。
こうして冬の夜の思春期男子を、あっという間に満たしてくれる、ありがたい存在でしかない。
カップ焼きそばに感謝を。
それにしても、おいしそうな匂い。
「…ねえ、お母さんにも、ひとくちちょうだい」
カップ焼きそばのほとんどをたいらげた彼は、まったく体重が変わらず、
ひとくちぶんだけ律儀に体重を増やすのは、私のほうなのだった。
◇ ◇ ◇
こちらが楽しかったので、私も書いてみました。
*もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら*
