いつも海を眺めるカフェの窓から、サーファーの姿が見えました。
大きな水面に浮かぶ、小さな頭が5人ほど。
サーフボードに膝を立て、一様に沖を向いている姿は、どこか宗教画のようです。
つと腹ばいになり、沖へ向かった次の瞬間、波の上にすいっと立っていました。
そのまま波の動きとともに浜の方へ戻り、ざぶりと倒れて、また海面から沖を見つめます。
…何か、「思ってたんと違う」。
サーフィンはまったくの未経験ですし、そもそも興味がなかったので、じっくり見たことがありませんでした。
だから、実は、沖へ向かって進むスポーツだと思っていたんです!
スケートボードみたいに、スイスイと。
でも、よく考えたら「波乗り」だものな…波に乗って進むのがあたり前ですよね。
写真や絵で見るサーフィンは、波に乗った瞬間を切り取ったものであって、全体像ではなかった。
やっている姿を見たら「サーフィンだ」と認識するし、サーフボードも「サーフィンに使うものだ」とわかるけれど。
私は決して、サーフィンを理解していたわけではなかったのです。
この世界は、もしかして、「知っているのに知らないもの」に溢れているのかもしれない。
それは、突然宇宙に放り出されたように、心許なくもあり。
あちこちに新しい物事が満ちていて、これから知ってゆくことの期待に、高揚感もあり。
自分を取り巻くすべてのものが、塗り変わった瞬間でした。
初めて「水」を理解したヘレン・ケラーや、リンゴが落ちるのを見たニュートンは、こんな心境だったのかな。
――ちなみに、サーフィンについて、もうひとつ新しく知ったのは。
ボードとサーファーを繋ぐ、リーシュコードと呼ばれる紐がついていることです。
スケートボードのイメージだったので、私にとっては、こちらも意外な事実でした(笑)。