小さい子と遊ぶのも、赤ちゃんを抱っこするのも、好きなんですが。
我が子のときにはじっくり楽しむ余裕がなく、過ぎてしまえば近くに乳幼児はひとりもおらず…。
孫を待ち望むおばあちゃんの気持ちがわかり始めてしまった私です(笑)。
このたび、町の子育てボランティアをさせてもらえることになりました!
町が主催する親子教室で、一緒に来ている上のお子さんや下のお子さんを見させてもらったり。
親御さんだけの講座のときに、お子さんと遊ばせてもらったりします。
2歳の女の子と遊んだときは、すべり台に積み木、階段におままごと…次から次へと興味を向かわせながら、気に入った遊びにくり返し誘ってくれるのが可愛くて。
6ヶ月の男の子を預からせてもらったときは、一緒にずりばいして遊んだあと、抱っこでゆらゆらしたら、眠ってしまいました。
腕にすっぽりと収まる温もりが、懐かしくて愛しい。
ずっと抱いていても飽きないですね。
今さらですが、我が子の赤ちゃん時代も、もっともっとたくさん、見つめておけばよかったと思います。
ボランティアなので、お母さん方や町の職員さんからは、「ありがとうございます」と言っていただけます。
だけど、私としては、むしろ逆で。
小さな子どもたちに癒されて幸せだし、何の資格もない自分に大切な子を預けてもらって、きゅっと気持ちも引き締まるし。
こちらこそ「ありがとうございます」なんです。
私自身、子どもを見てもらう側だったときは、「大泣きしたら悪いな」「ずっと相手をするのは大変だろうな」という、遠慮や申し訳なさがありましたが。
預かる側になったら、そんなことはまったく気にしなくていいんだ、とわかりました。
ほんの数時間遊ぶだけで、帰宅後の家事や明日からも続く育児を考えなくていいから、全力で相手をしても楽しいし。
赤ちゃんが泣いていても、「泣き止ませなきゃ」と焦ることもなく、ただただ可愛いだけだし。
そもそも、ボランティアとしてわざわざ来るぐらいだから、子どもの相手をしたい気持ちでいっぱいなんですよね。
長女が学校に行けなかったときは、親子で子育て支援センターへ遊びに行かせてもらって、娘は小さい子の遊び相手になっていました。
それはそれは、嬉しそうに。
学校以外の居場所があって、母子ともども、ずいぶん救われたものです。
――就学前の子どもも、学校に行けない子どもも、親も自由に行くことができる場所があるといいなあ。
やってくるお母さんと子どもたちを見ながら、ふと、そう思いました。
そこでは、遠慮や罪悪感なしに、大きい子や手の空いている大人が小さい子の面倒を見るような、心地よい空気が流れていたらいい。
赤ちゃんの育児に大変な親は息抜きできるし、学校に行けなくてしんどい子どもは、自分が必要とされる喜びがある。
もちろん、子どもが好きな人も嫌いな人もいるから、義務的なものではなくて。
来たかったらふらりと来て、遊んだり気分転換したりして、帰っていくような場所。
もしも私が作れたら、それも素敵だな。