「好き」を育てる

長女が思春期で、反抗期です。

こちらのイライラも、しばしば高波を迎えるのですが…

「いや、でも、怒鳴り散らしても頭ごなしに説教しても意味がない」

「私の目的は、子どもの自立。そのための自律を、長女に身につけてほしい。どう言えば伝わる?」

「イライラをぶつけてもだめだ。まずは落ち着こう。この怒りの第一感情は何だ?」

考えて考えて、言葉を選んで、だけど一朝一夕に解消されるわけもなくて。

あまりに腹立たしくて疲れはてたので、半ば喧嘩腰で学校に送り届けたあと、そのイライラを書き出してみました。

要約すると、「やるべきことをやらずに、やりたいことだけ主張してくる」。

――あ、普通の中学生だ。

ごくごく普通の思春期であり、反抗期です。

声を荒らげて怒ることではないし、そもそもすぐにどうにかなるものでもないし、私がイライラに囚われる必要はありません。

離れて冷静になってみれば、何でもない日常のひとコマでした。

でも、目の前にいると、どうしてこんなに腹立たしいのか(笑)。

何とかしようとしなくていいから、声はかけ続けるぐらいの距離感がよさそう。

真正面から向き合うというより、少し後ろを併走するイメージでいこうと思います。

書き出すことは、やはり気持ちを落ち着けて、客観視するのに役立ちます。

また、先日コイケさんの本を読んで、さっそくノートにオーダーを書いてみました。

「私は、自由に、幸せに、お金に困らない生活を送っています。」

まだ何も始まっていないけれど、書いただけでどっしりとした安心感が根を下ろすのがわかりました。

「書いたからもういいや、大丈夫」というゴールではなくて、「これで自分を幸せにする覚悟ができた」スタートラインに、しっかりと足をつけた感覚です。

基礎工事が完成したようなものですね。

「書く」理由

書くことで自分自身を作り上げ、確立してきたと感じている私ですが、今と昔とでは、その意味合いが少し違うことに気がつきました。

10代の頃は、たまったストレスをそのまま書き殴って破り捨てたり、物語に落とし込んで自分以外の誰かに解決させたりしていて。

いわば「排出のための消化」でした。

今は、書くことで物事を客観視したり、自身をふり返ったり。

「吸収のための咀嚼」になっています。

同じ好きなことでも、関わり方は変わっていくなんて、おもしろい。

まるで子育てみたいです。

子育てと一緒に、好き育ても楽しんでいきます!

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