言葉にできないものを

昨日、子どもたちにYou Tubeで見せてもらった、「急に全てが嫌になったウーパールーパー」。

可愛くて、LINEスタンプを買ってしまうぐらいには、気に入っています(笑)。

長女が、

「お母さんが、そんなに気に入るとは思わなかったな。確かに可愛いけど、何だかうるさかったりするでしょ?」

と訊ねてきました。

確かに、効果音が大きいものもありましたし。

普段、長男や次男のテレビの音量を「耳がしんどくなるから、もう少し下げてー…」が口ぐせの母なので、娘にしてみたら、意外だったのかもしれません。

でも、乳幼児大好きな私は、小さい子どもみたいなウーパールーパーを見ていて楽しいです。

とすると、私が可愛く、長女がうるさいと思うのは、騒ぐ弟たちを「可愛いわが子」「やかましい兄弟」と感じる、母と姉の視点の違いのようなもの。

それに、大人になると「全てが嫌に」なっても、こんなふうに表に出せなくなるから、奥底の抑圧から解放される気持ちになるのではないでしょうか。

――答えると、長女は納得してくれます。

でも、しゃべっている私自身は、何だか言葉が上滑りしている気がしてなりません。

いろんな物事や感情を、言葉にするのは簡単なのだけれど。

人生には絶対的に「言葉にならない」ような「説明できない」ようなものがあったはずで、これからもあるはずで。

私はそういうものに出会って、ただありのままに、言葉もなくそれを感じたいと願っている。

あらゆるものを言葉で伝えたい、表現したいと思いながら、言葉にできない圧倒的なものを求めている。

自分の内側に、こんな望みがあったなんて、まったく自覚していませんでした。

You Tubeから予想外の思考が生まれて、これもまたおもしろいです。

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