人を介して知った、旦那さんなりの愛情がありました。
「お母さんは、昔そんなにできなかったなあ」というパターンで、私はよく子どもを立てます。
旦那さんとしては、それで父親も立ててもらっているのでありがたいけれど、妻が子どもたちに低く見られないか?
と、心配してくれているようです。
確かに…日々の苦労を知る長女ですら、母を音痴だと思っていたし。
長男は体育と算数は自分が勝つ、と信じているし。
次男に至っては、先日、くり上がりの足し算を「お母さん、解けないでしょ」と決めてかかっていましたね…。
でも、そういうわかりやすい能力は、低く見られてもいいかなと思っています。
それで子どもが、気持ちよくやる気になるのなら!
大人になってから改めて、目に見えない部分で母は母たり得ていたんだな、と感じてもらえたら、ボーナスのようなもので。
母の出来不出来よりも、「愛されていた」「大切にされていた」記憶を残したいですね。
また、普段子どもとの関わりが少ない旦那さんは、
「落ち着いている状態を、自分が動いて引っかき回すのは嫌だ」
と考えるので、より動きにくくなるらしいのです。
つまり、必要な物事やタイミングをきちんと伝えれば、協力してもらえるんだ!
思いきって遠慮をふり払い、お願いをしてみると、なるほど受け入れてもらえることが増えました。
旦那さんは、私から見たら、やっぱりわかりにくい人なのだけれど。
彼なりの愛情の形を知ると、自分の想像力や歩み寄り力がまだ弱いな、と省みることができて、ありがたいです。