伝えようとしている

Facebookを、私は主に読むほうで使っているのですが。

たまにコメントを書き込むときは、ものすごく緊張します。

まず記事を読み直してから、下書きして読み返して訂正して、対象の記事をもう一度読み直して、自分の文章を再び読み返して訂正して。

さらに時間をおいて見返してから、ようやく投稿するありさま。

その緊張は、

  • 相手の意図を読み違えていないだろうか
  • どのような返事を求めているのだろうか
  • 相手に伝わりやすく受け入れやすい表現で、なおかつ私の気持ちが伝わる言葉を選べているだろうか
  • 漢字とひらがなの比率、絵文字の有無、改行の位置などは適当だろうか
  • 不快に感じさせる部分はないだろうか

など、とにかく考えてしまうことが理由です。

特に、読むだけのオンライン上では、こちらが一方的に知っているような状態になるので、より失礼にならないように…という緊張感が強まります。

学校や町内会などのLINEグループ連絡でも、自分から送るときは必ず下書きをしますし、返信でも内容を吟味します。

そんな気質だからか、その場で受け答えを推敲できない電話は苦手です…。

簡単な連絡も、慣れるまでは事前に原稿を書いて、シミュレーションしていました。

なので、思いつくままにつらつらと語れる気心知れた友人や家族は、貴重な存在ですし。

推敲はするけれど緊張はしない、このブログも同じくです。

たぶん、ここに書く文章は、目に見える他人に届いていないから。

誰かがたまたま読んでも、できるだけ不快にならないようにと、最低限の文章作法は守っているつもりですが…。

紙媒体や、非公開の日記だと、リセットしたくなったり、投げ捨てたくなったりして続かなかったので、

「誰かが見るかもしれない場所で」「誰にも気づかれずに」「過去と未来の自分に向けて綴る」

という、対自分のアウトプットをすることで、対他人への発信の余力を保てている感覚です。

自身の現状や気質はそのようであっても、やはり「ちゃんと伝えようとする」努力は、返答速度にしろ内容にしろ、惜しみたくありません。

よりよい関係を築きたい相手であれば、なおのこと。

まずは、学校の連絡帳にも、先生方への「嬉しかった」「ありがたい、感謝している」という思いを、書くようにしました。

学校への連絡は、先生は忙しいだろうと気を遣うからこそ、必要最低限になりがちだけれど。

問題があるときだけ細かに伝えるのではなく、普段の子どもの様子や親の気持ちも共有できたほうが、問題が起こったときの対応もスムーズです。

認識がすれ違いがちな不登校対応を続けてみて、そう実感しました。

何より、素直に伝えていくことで、だんだん発信の壁が低くなります。

感じてから伝えられる形になるまでのタイムラグが、少しずつ短くなるように、今日も「伝えようとしてみる」!

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