長女の通う中学校の制服は、セーラー服です。
ただいま衣替えの移行期間なので、夏服の上にパーカーを羽織って登校したところ、
「夏服+羽織りはだめ。冬服の意味がないから」
という、謎の指導が出現したそうで…。
そこから私、つらつらと考えました。
①
え、でも気温によって服装を調整できるようにするための移行期間だよね?
ブレザーなら脱ぎ着できるけれど、セーラー服は暑くても脱げないよね?
だったら夏服+羽織りは、間違っていないのでは?
②
移行期間なんていうシステムができたし、いろんな面で昔よりかなり柔軟な対応になってきたと思ったけれど、まだまだ謎校則は存在するんだなあ…。
うちの感覚過敏の長男、詰襟にカッターシャツにベルトの制服なんて、着れないんじゃないかなあ。
でも、今の話を聞く限り、そんな部分にまで対応はしてもらえないのかもしれない。
③
そうなったら本格的に不登校になるんだろうか…。
登校を強制するつもりはないけれど、制服がネックなのであれば、そこは絶対的に遵守しなくてもいいんじゃないかな。
目的は制服を着ることではなく、教育を受けることだし。
だいたい基本が学校に行きたくない子どもを、なんとか気分がマイナスにならないように学校へ送り出すだけでせいいっぱいだよ。
服装で引っかかったら、もう無理だ。
④
そもそも、夏服も冬服も制服には違いないのだから、通年どちらを着てもいいはずなのに。
式典など揃えたいときだけ、学校が生徒に伝えればいい。
いっそ、セーラー服と学ランをやめて、もっとジェンダーレスなブレザーなど導入すればいいのに。
そこまで考えて憂鬱になりかけ、はたと気づきました。
長女は、夏服と冬服に関しては「言われてみればそうだね」というレベルだった。
校則の是非はさておき、本人は今の状況に適応している。
問題はまだ私の中にしか生まれていないのに、憂鬱になる必要はないのでは?
ここで初めて「考えすぎ」というものを、実体験として理解しました。
思考は勝手に展開してしまうし、何も考えずに過ごすのがよいとも思いません。
ただ、主観の苦しみに沈んでしまわないために、事実と感情を分けて捉える能力は、持っておいたほうがよさそうです。