仕事を人に任せるのが、苦手だ。
丸投げするのは、むしろ好き。
苦手なのは、途中経過を任せることである。
といっても、私は一介の主婦であるので、ビジネスの話ではない。
「家事」の、そして「お手伝い」の話だ。
子どもたちが、家事をしてくれることがある。
とてもありがたくて嬉しいのだけれど、素直に喜べない私がいるのも、また事実。
たとえば、洗濯物を干してくれたとき、その干し方だと乾きにくいから、
明日取り込む役の私が、干し直す必要がある、だとか。
お皿やフライパンを洗ってくれたとき、洗い残しがあるために、
次に使う私が、再度洗わなければならない、だとか。
家事が苦手な私には、
「いかに明日の自分がやりやすくしておくか」
という点が、非常に重要なのである。
だから、私が明日も明後日も、ずっと家事をしなくてよいのなら、
どんな料理をしてキッチンが汚れようとも、洗濯物の乾きが悪くても、かまわない。
それはもはや、私の仕事の範疇ではなくなるから。
しかし現状、家事の最終責任者は私であり。
子育ての面から考えても、私だけが家事を一手に請け負うのは、よろしくない。
最初から完璧に家事ができる子どもなどいないし、経験を重ねてこそ上達するものだ。
家事というもの、自分に合うやり方や、仕上げの度合いは、
個人によって、かなりの違いがある。
そして、私のやり方を100%求めるのは、絶対に違う。
私自身、母に喜んでほしくて手伝ったときに、
逆にやり方が違うと叱られて、とても悲しかった記憶がある。
今なら当時の母の気持ちはわかるけれど、私はそれをしたくないのだ。
この場合は、私が許容範囲を広げて、多少の手間は巻き取る覚悟で、
子どもたちの生活能力を育てていくべきだ、と思うのである。
任せたい。心から感謝して、助け合って暮らしたい。
ちっぽけなこだわりを手放そうと、私は今日も、もがいている。