AI時代の贅沢。

いま、わたしは贅沢な暮らしをしている。

平日にやっている、こども園の給食室の仕事は、楽しい。
いろんな仕事がAIに置き換わるというけれど、
保育における食事は、まだまだそうはならないんじゃないかなあ。

調理手順や衛生管理、食材の種類、温度や塩分量など、決められている枠組みがある。
…と聞くと、機械で効率化できそうに思えるんだけど。

その中で、当日の食材の状態を見て、加熱具合を調整するとか。
規定内で「今日は暑くて汗をかくから、食べやすいように塩を効かせて」とか。
感染症の流行による人数の増減、離乳食の進み具合、子どもの喜ぶ行事食、とか。
アレルギーのある子も、おいしく楽しく食べられるように、とか。

肌感でしか判断できないことがたくさんあって、
仮にAIが判断できるようにするとしたら、膨大なデータと繊細な判断基準が必要で、それを管理できる人が絶対に必要で。

なにより、大事なわが子を預けるのに、
「人の手で作ったごはんを食べさせたい」と思う親御さんが、圧倒的に多いように感じるから。

保育の中の食育、最後に子どもたちの口へ届けるのは、
まだ人間にしかできない、贅沢な仕事だなあと思う。

休日には、紙の本に没頭する。
ページをめくる音、紙の質感、物理的に物語を進めていく。
あるいは、ジョギングして、へとへとになる。
足の裏から伝わる振動が、耳に届く。空気の熱の揺らぐのが、皮膚に触れる。
AIと対話するよりもはるかに、心と体が動く。

こうして、文章を書く。
書かなくてもヒトとして生きてはゆけるのに、わたしとして生きてゆくために書く。
AIを噛ませずに文章を書く営みは、アートに似ている。

体がないとできないことで、わたしの毎日が構成されている。
AI時代の贅沢。

もしもいつか、ドラえもんみたいに、頭脳と身体の調和したロボットが生まれたら。
そこまで進化したら、一緒に楽しめるんじゃないかなと思う。
仕事を奪われるとか、使いこなすとかじゃない世界は、夢見る贅沢。

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