「カードリーディングで飯を食う部」の活動に、参加しています。
といっても、占い師になる部活、ではなく。
「自分の未来を言語化し、自分で人生を選ぶ力を育てる」方法のひとつとして、カードリーディングを使っていく部活動。
3ヶ月間の活動の、いまはちょうど折り返し地点ぐらいかな。
お仕事としてカードリーディングをされている方、してみたい方、
わたしのように、直感力や言語化力を磨きたい方。
いろんな目的の方が、参加されているように思います。
ワークに取り組んでいく中で、自分と世界との境界線が、ゆるりとなくなっていく感覚があります。
答えのないことの、ちいさな粒が集まって「わたし」になっている。
わたしが、こうして立っているとき。
当然ながら、目はふたつしかないので、背中側の世界のことは見えなくて。
目の前にあるものでさえも、すべてを粒子レベルで見ることなんてできなくて。
わたしが認識しているものでしか、わたしの世界は構成されない。
自分の見ているものが、ときおり答えになったり、ならなかったり。
意味のわからないものも、すべてが「わたし」。
答えあわせができるものも、意味を見出せるものも、わからないままに自分の要素にしておくのも、なんでもよい。
「わたし」がそうであるならば、周りのすべてもそうなのだな。
わたしはわたしとして個の存在でありながら、世界を構成するちいさな粒のひとつなんだ。
という感覚が両立して、心地がよい。
そのように立ちながら、生きること、生きていくことを感じ、考え、動く。
「生きる」って、究極の趣味だな。
いま、そう思っています。
趣味とは、と辞書を引いてみると、
個人が楽しみとしている事柄。その人の感覚のあり方、物事のもつ趣。
というような説明が出てくるので、われながら納得してみたり。
