「すーちゃん」がほっこりとおもしろかったので、こちらも読んでみました。
この姉ちゃんの生態、本当によくわかる(笑)。
弟相手にくり広げられる、裏表のない本音トークが楽しいです。
「すーちゃん」とは、また違った読み心地でした。
「すーちゃん」が、しみじみと味わう母の煮物みたいな温かさだとすると。
「僕の姉ちゃん」は、ちびちびお酒を飲みながらつまむ、チーズやスルメのような安定感かな。
そんな中で、「姉ちゃん、鋭い」と思わずうなずいた会話が、こちら。
弟が上司の話をしたときの返しが、本質を突いています。
「上司のひとりにさ、話とかすげーうまいのがいてさ。
理路整然としてるから口なんてはさめなくてさ。
とにかく話聞いて『なるほど』って思って」
「『でも、なんか違う』」
「そう」
「『正論だけど正解ではない』」
「そうそう」
ゆるりとしゃべっているようで、どのエピソードをとっても「姉ちゃん」という人となりが、よく表れています。
弟が感じた、姉ちゃんは。
論理も、理屈も、美しい筋道も見えないのだけれど、姉ちゃんなりのなにかで毎日を送っている
それは、一見、バラバラのピースに見える
なのに、根気よく並べていけば
僕がたちうちできない「まっとうさ」のようなものが
うっすらと見えてきそうな気もするのです
大人になった女性全般に言えるのかもしれないな、と思います。
ちぐはぐで理解しにくいのだけれど、暮らしの本質はちゃんとわかっているらしい。
私も、端から見たら、そんな生き物なのかもしれませんね。
「そんな私も、悪くない」です。