友だちってなんだろう?(齊藤孝)

即答できないシリーズ。

深い思考と、自身と向き合うことが必要になるテーマです。

考えることは好きなので、こういった本を読むときは、心にそれだけの余裕があるということ。

考える力は、自分を知るバロメーターでもあります。

友だちってなんだろう?

著者は、こう定義づけます。

友だちとは、一緒にいて楽しくて、笑顔になれる、元気になれる存在である

前にも、わたなべぽんさんから、似たような言葉を聞きましたね。

「友達だから」「友達ならば」で悩んだり苦しんだりする必要は、実はまったくなくて、シンプルでいい。

齊藤さんが提唱する「友だち力」は、次の3つです。

  1. 「気の合う友だちをつくる」力
  2. 「気の合わない相手ともうまくつきあう」力
  3. 「ひとりを楽しめる」力

友達と定義するのが1の関係で、それ以外の相手に対しては、2の力があればいいのだと思います。

2を無理やり1にする必要はない。

本書でも触れられている「友だち幻想」の、「同質性から並存性へ」という話にも繋がりました。

「自分が動くことで、全体がうまくいくかどうかを判断して、スッと動ける」協調性と、「まわりの人と同じように、同じことをしなければならない」同調圧力とは別物なのです。

大人になると、関わる世界が広がる分、圧倒的に2と3の場面が増えていくので、確かに思春期に学びたい力です。

人間関係力を磨く

この本は、友達関係を主に書かれていますが、実は人間関係すべてに通じるお話です。

たとえば、齊藤さんは「気分をコントロールしてつきあうのが大人の作法」であると述べています。

向上心をもって前向きな気持ちで友の前に立つ。

それが美しく装うということです。

思ったままを口に出すのは、きちんと衣服を身につけて会話しようとしている相手に対して、ひとり裸でわめいているようなことなのです。

(中略)

自分の気分をコントロールできないのは、社会的な存在である人間としては、未熟でしかないのです。

衣服を身につけ、身ぎれいにして、不快感を与えないようにするのが社会のマナーであるように、言葉もまた、相手に非礼のないように「整えて」発さなくてはいけない。

これは大切な社会マナーです。

友達だけではなく、家族でも、地域のコミュニティでも、ネット上でも同じことです。

私は同調圧力に弱くて、自分を抑えて我慢することが多く、素直にさらけ出せる人がうらやましかったのですが。

ありのままの自分を認め、受け入れていく中で、「本当は嫌だった」気持ちに気がつきました。

だけど、それをそのまま相手に向けるのは、必ずしも正しくはないのだ、ということです。

気遣いのなさと素直さとを混同しないように、「苦手」や「嫌い」とのつきあい方を、身につけなくてはいけませんね。

また、「性格のせいにしない、行動で変えていく」というのは、実際に体験してきたからこそ、深くうなずきました。

「私は人見知りだ、消極的なのはいけないことだ」と、ずっと感じていたから、自分なりに努力してきたわけです。

結果、今では子どもの頃のように、初対面の人を前に固まることもなくなったし、何なら笑顔で挨拶と世間話ぐらいはできるようになりました。

あいさつは、「反応」です。

できないのは、からだの反応力が鈍っているからです。

たとえば、アルバイト先で接客対応の練習をして、毎日お客さんに向かって、「いらっしゃいませ」と笑顔で言うようになると、ふだんの生活でもすっとあいさつできるからだになります。

本当に、その通りなんです。

だから、

学校は、「人慣れ」の練習場。

人との距離感や人間関係を勉強するところでもあるのです。

子どもたちには、それぞれに合う場所で、いろんな体験をしてほしいな、と思っています。

大人が読んでも学びの多い内容ですが、中学生になった娘には、特におすすめしたい1冊でした。

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