いつも綺麗、じゃなくていい。(松本千登世)

40歳を迎えて意識するのは、これからの自分。

子どもの頃は、40代から50代は「おばちゃん」という一括りだったけれど、実際にその歳を迎えてみると、「綺麗」のわからなさに戸惑います。

20代30代のファッションは似合わない、体質も体型も変わってきた、若い世代からは「年配層」として見られる。

だけど、おばあちゃんたちのような服や髪型も違和感があるし、シニア世代からはまだまだ若造扱い。

突然現れた壁の前で、進むことも戻ることもできずに、さまよっている感覚です。

私自身も、出産前は、例えるならバッチリフルメイクのような「いつも完璧に綺麗」が理想形でした。

子育て中は自分の綺麗は置いてきぼりで、サラサラスッピン。

ようやく自分のために時間が使えるようになったとき、そのどちらも何だかなじまなくて。

どうしたらいい塩梅に力が抜けた「綺麗」になるのか、中年期の生き方を探しています。

こちらは、ひとつ先の50代に向けての本ですが、今読んでもかなり参考になりました。

前提として、生きているのだから、老化はあたり前で。

諦めるのでも、抵抗するのでもなく、どうやって衰えと寄り添って共に歩むかが、その人の生き方であり美しさでもある、と思います。

「下り坂を知り、綺麗の呪縛から解き放たれて、軽やかにしなやかに、『美人』の空気をまとう」ためのヒント集です。

読んでみて、私がやりたいと思ったのは、まず表情筋を鍛えること。

加齢によって頬や瞼や口角が下がると、無表情の顔が不機嫌で疲れているように見えるのだそう。

無意識の顔は、10年後の顔、

意識の顔は、1年前の顔

とあるように、鏡に向かうときだけでなく、ふとした瞬間にも穏やかな表情でいたいですから。

また、老化との寄り添い方には、

  • 古くなるほどに価値が増すものを、傍らに
  • 年齢を重ねた手にこそ似合う、華やぎがある
  • 「大人のほうが、似合うもの」を探す
  • 年齢を重ねるほどに、肌は感情を記憶し、記録する

このような考え方がヒントになります。

軽やかさやしなやかさについては、

  • 「綺麗な肌」より「調子がいい肌」
  • 大人は、美人じゃなくていい、美人に見えれば
  • 「綺麗じゃなきゃいけない」という呪縛から、解き放たれよう

これらが役に立ちそうです。

最後の項目に、こんな一節があります。

綺麗は比較で決まるものでもなければ、点数で評価されるものでもありません。

綺麗に自分がコントロールされるのではなく、自分が綺麗をコントロールするもの。

「自分らしい」「居心地がいい」そう感じられれば、それがベストな肌なのです。

お母さんのためのアンガーマネジメント」でも、「感情のハンドルを他人に委ねない」という言葉がありましたが。

「綺麗」についても、同じなんですね。

「人生の主役は自分」と言われる所以は、自分でハンドルを握って生きるからこそ。

本を閉じたら、TOKIOの「宙船」が頭の中を流れていきました。

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