「当たり前をやめた」学校や、先生という仕事について、特別支援教育のことなど、さまざまな本を読んできました。
今回は、こちらです。
定期テストや制服はわかりますが、いじめや不登校もないって、すごい。
どんな学校なんだろう?
まず最初に、「教員は、大きな声を出したり、威圧的態度はとりません。」という文章で、涙が出そうになりました。
それだけ、私にとっての学校生活では、大声や威圧的な指導があたり前だったのかもしれません。
自由な登校時間と、教室に入りづらい子が集う廊下スペースや校長室の存在に、これらがあったら娘も私もどれほど救われただろう…と感動したし。
「ゆうゆうタイム」のエピソードで、
生徒と同じですね。「自分のままでいいんだ」と気づくことで楽になる。
だってこれまでは、「教員とはこうあるべきだ」と自分を捻じ曲げて無理をしていたわけですから。
という先生方の気づきを知って、何だかほっとしました。
私も「母親としてこうあるべき」に苦しんでいたけれど、先生も同じなんだな。
「先生」「親」「子ども」と、つい一括りに考えがちですが、それぞれが個性あるひとりの人間なのだとわかると、親近感が湧いてきます。
桜丘中学校のさまざまな取り組みが「最初に結論ありきではない」と、順を追って丁寧に語られるくだりには、とても共感しました。
「議論に議論を重ねていった結果、そうなった」という取り組みは、HSCの本にあった「一見甘やかしているようにしか見えないが、実は親がその子にとってのベストな育児を試行錯誤した結果」であるのと似ているな、と感じて。
読み始めから泣ける教育本も、珍しいものです。
一気に、引き込まれるように読みました。
2章に書かれている、桜丘中学校の際立った特徴が、
- 校則がない。
- 授業開始と終了のチャイムがない。
- 中間や期末などの定期テストがない。
- 宿題がない。
- 服装・髪型の自由。
- スマホ・タブレットの持ち込み自由。
- 登校時間の自由。
- 授業中に廊下で学習する自由。
- 授業中に寝る自由。
- 授業を「つまらない」と批判する自由。
なのですが。
そんな中に存在する、たったひとつの校長ルールって、いったい何なのだろう?
逆に気になって仕方ありません。
桜丘中学校の545人の子どもたちが、幸せな3年間を送ることができたら――それが私の唯一の願いであり、そうすることが私にとっての唯一のルールです。
素敵!
そして、西郷先生の考える「どんな子でも3年間楽しく過ごせる学校」とは、
子どもひとりひとりの個性が異なるように、「何が楽しいか」を決定するのは、校長でも学校でも教員でもなく、子どもなのです。
545人の生徒がいたら、545通りの「楽しさ」があるのです。
でも545人全員に、「学校に行けば何か楽しいことがある」と思ってほしいのです。
まさに、私が子どもたちにそう思ってほしい、学校そのものの姿です。
ただ、先生でも教育関係でもない私に、できることは何なのか。
考えながら、3章の「子育ては15歳まで」を読んでいくと、「あれ? 親も先生も同じじゃないか?」と気がつきます。
著者が「どんな子でも3年間楽しく過ごせる学校」を実現していくように、私は「どんな子でも15年間楽しく過ごせる家庭」を作ればいいのではないか、と。
おまけに、学校は先生や生徒が入れ替わり、多種多様な個性があるけれど、うちは子ども3人だけです。
学校にできるのだったら、私にもできるはず。
親も子どもも、そのままの個性で、安心していられる家にしよう。
そこから生まれる笑顔と、伸びてくる力を、大切にすればいいんだな。
そんなふうに、思ったのです。