対等であること

長女と親友

最近、仲良しのお友達と、うまくいっていない様子の長女。

喧嘩をしたり、揉めたりしたわけではなくて、関わり方が、お互いにかみ合っていないみたいです。

今までは、べったりと依存しあっていた印象の2人でしたが。

そこから一歩踏み出して、適度な距離感を探りだした、という感じを受けます。

「こうやって、くっついたり離れたりして、お互いに心地よい関係になっていく、途中の段階なのかなあ、と思うよ」

伝えた私の意見に、娘もうなずいてはいましたが、

「でも、わかっていても、遠くなったように感じるのは、寂しいんだよね」

とつけ加えると、首を何度も縦にふっていました。

それと、決して嫌ではないのだけれど、軽い言葉のかけあいで、いつも言い負けてしまうのが悲しい、とも言っていました。

たぶん、娘は「うん、そうだよね」って、共感しあいながら話したい。

けれど、今の状態は、自分がいわゆる「いじられ役」になっている。

本人は、そう感じているみたいですね。

引き続き、私は静観しています。

長女とクラスの男子たち

また、保育園時代からずっと言っていることですが、悪い意味での男子の子どもっぽさにも、かなり嫌気がさしている様子です。

悪い人ではないことは理解できても、なぜそんな行動をとるのか、なぜそんな物言いをするのか。

という、受け入れがたい感情があるようです。

先日は、大きなため息をつきながら「あーあ、クラスの男子より、○○くん(外遊び仲間の男の子)の方が、話も合うし、100倍良いわ」と、つぶやいていました。

校外の友達だからかな、とも思いましたが。

そういえば、学校でも、もう転校してしまったけれど、気の合う下級生男子がいたことを、思い出しました。

娘にとって、心地よい相手とそうでない相手とでは、何が違うんだろう。

私なりに考えてみました。

対等であること

これではないかと、思いました。

クラスの子は、保育園から持ち上がりのメンバーなので、集団の中での力関係が、すでに出来上がってしまっているんですね。

娘は、クラスの中心にいる方ではないし、体も小さくて、力も弱い側の立場にいるようです。

親友からの、いじられ役になっている状態も、その立場が固定されてしまうと、力関係ができてしまう。

長女が心地よく感じる相手は、そのような立ち位置の固定化がありませんでした。

娘に聞いてみたら「あー、そうかもしれない」という答えが返ってきましたが。

考えてみれば、私だって一緒です。

旦那さんの、無自覚な上からの物言いは、今でも嫌ですし。

ただ、それを逆手にとって過ごせる余裕が、自分自身にできてきただけ(笑)。

しんどいことも、たくさんあったけれど。

自分も周りも、成長し、変化し、少しずつ生きやすくなってきたんですよね。

過渡期にいる娘にも、「いつかふり返れば、笑って思い出せること」になるまで、せいいっぱい生きていってほしいです。

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