書くのが好きなので、私的にいろんな文章を書いてきました。
お仕事でも、たくさん書かせていただきました。
そして、いま感じていること。
創造力も想像力も、0を1にする力は、私にはない。
私にあるのは、たぶん、その先の何か。
【能動的な受動】
AIくんがまとめてくれた説明によると、
創造力とは、“独自のアイデアや新しい物事を生み出す能力”で、
想像力とは、“現実の経験や情報をもとに、新しいアイデアやイメージを創り出すことができる能力”。
私、こうして文章を書いているけれど、そのどちらでもない気がしています。
これから綴るのは、私自身の認識なので、外から見て、
「いやいや、それ違うから!」「こっちだろ!」などの突っ込みは、大歓迎ですw
日記や、詩やエッセイを書くときは、あくまで“現実の情報を受けて、感じたままを書いている”ので、
新しい何かを生み出しているわけではありません。
ファンレターや、宣伝部のお仕事も、そう。
相手の魅力、サービスの魅力があってこそのもので、
私が新たに創り出しているのではなく、そのまま伝わってくる素晴らしさを、描き出しているだけです。
なので、0→1ではなく、1の先を広げていくほうだと思うのだけれど、
どう表現すると、しっくりくるんだろう?
拡大。拡張。伸長。伸張。展開。etc…
このあたり、自分でもまだ言葉にできていないのですが。
この過程で力を発揮するために、私のどんなところが働いているのか。
は、なんとなくわかってきました。
たぶん、収集して、予習して、選択する流れなんですよね。
#ストレングスファインダーでも出てるやつ
#収集心や最上志向
#ヒューマンデザインでも言われてるやつ
#とにかく経験したい
自分の脳の本棚に、情報を入れて、整理しておくのが大好きで。
それを選び取り、書いて出す。
#魅力発見似顔絵にも出てたやつ
選んで出すときに、論理的な思考で決めているわけではなくて、
感覚的に、これなのでは? と文章を選択するので、
そのあたりは、共感や没頭から得ている部分が多いのかな、と思います。
私が書けるのは、世の中に、素晴らしいもの、美しいものがあるから。
目の前に、素敵なひとたちがいるから。
書きたいと思える私を、育ててくれる世界で、生きられたから。
“能動的な受動”のおかげで、文章を書けている気がします。