noteで書いている詩とエッセイが増えてきたので、それぞれマガジンに振りわけてみた。
ふっと心が動いた瞬間、素敵な写真を見つけた瞬間、
「これ、前にも書いた気がするな」
と、自分で見返すのに不便だったからだ。
同じ作品を、漫然といくつも生むのは、好きじゃない。
けれど、過去作をふり返ってみて、少し考えが変わった。
私は、私の心が動いたものしか、描けない。
そして、何に心が動くかの感性は、すでにある程度、決まっているのだ。
世界のすべての物事に対して、喜び、悲しみ、感動しているわけではない。
自分が言葉にしたい衝動にかられたものだけ、言葉にしている。
視点を変えて、角度を変えて。何度も、何度も。
“世界観”とは、そういうものなのだと思った。
同じものを、まったく同じ言葉で表すのは、おもしろみがない。
「心が動いた」という、見えないものを、何にのせて、どのように描くか。
手を変え品を変え、言葉を変え、ひとつの世界を描いていくのが、
まるで多面体の結晶を、磨き上げていくように、楽しいのだ。
風のかたちを、肌のさわりとした感触で知るのか、
炎の揺らぎで目に映すのか、葉がさらさらと鳴る音で聴くのか。
いつかの海辺の思い出に重ねるのか、まだ見ぬ憧れの風景を追ってゆくのか。
心地よいと思った同じ風を、描く言葉を探し続ける。
そんな作業をくり返すのが、私はとても好きなのだ。