片づけがうまくいく方法のひとつは、“今に集中していること”だと思う。
未来への心配や、過去の後悔。
心に掛かるものが少ないほど、片づけやすいような気がしている。
思い出の品は、手放すときのハードルが、もっとも高いジャンルではないだろうか。
思い出は、本人が望まない限り、手放す必要はないと考えている。
そして、私の場合は、手放すことを望んだ。
私が手放した思い出は、
“「あの頃こんなにも頑張った私」を、後生大事に証明するための品”
である。
手もとに置いたり、見返したりすることが、今を生きるエネルギーに結びつかないもの。
20年近く保存箱にしまっていた、小説の下書き原稿や、演劇の脚本を手放した。
それらは私にとって、過去の努力の結晶であり、やり切っていない後悔であり、
「今は好きなことができていないけれど、いつかはまた頑張れるはずだ」という、未来への不安の裏返しでもあった。
私が新たに作品を書き始め、オンライン上に残せるようになったのは、この手放しの後である。
思い出は、生モノだ。例えるなら、植物のような。
プリザーブドフラワーにして、リアルに持ち続けたいものがあり、
ドライフラワーにして、変化ごと記しておきたいものがあり。
エディブルフラワーやハーブのように、咀嚼して消化することで、
形はなくなっても、経験として血肉になるものがあり。
自分に最適な形で、それぞれを持つことで、思い出を収納しておける。
そのままを美しく保つだけが、思い出の片づけにはなり得ないのである。