読むのも、書くのも、好きです。
しかしどうやら、読書に使っている脳と、執筆に使っている脳とは、違うらしい。
あ、普段の投稿を書く脳は、自然に繋がっています。
ここでいう「執筆脳」は、物語を書くときの脳。
こうして「わたし」として書く文章は、
読むのも書くのも、息を吸って吐くようなもので、対の仕組みになっているのです。
読む、だけじゃなくて、自分が体験することすべてが、吸うこと。
それを話したり書いたりするのが、吐くこと。みたいに。
だけど物語は、わたしじゃなくて、キャラクターのものだから。
自分の感性が礎ではあるけれども、決してわたし自身ではない。
「わたし」の上に「キャラクター」の目を纏う。
わたしであって、わたしではない人間になりきる。
想像する。
近しい人を観察してみる。
想像する。
実際に動いてみる。
想像する。
文字にしてみる。
想像する。
なんか、そんな感じ。
「息をするとき、わたしの肺って、どうやって動いてるんだっけ?」
「え、心臓って、どうやって動かしてるんだっけ?」
って、いちいち考えながら呼吸するような。
自転車と同じように、物語も書き慣れたら、なめらかに脳が動くのだろうか。
やり続けてみないと、わからないなあ。
