同じような毎日が、心地よい一方で。
何かしらの変化を求めるときも、もちろんあります。
大きなものだったり、小さなものだったり。
たとえば、私は習慣にしている掃除を休むと、どうもすっきりしないんですね。
でも、学校行事などで時間が足りない日もあるし、疲れていて動きたくない日もある。
そんなときには、以前カウンセリングの先生が言っていたことを思い出します。
今日は昨日と同じようにしなくてもいいし、明日も今日と同じようにしなくてもいい。
みんながあたり前のように、同じことをして過ごしているけれど。
昨日したから今日もしなければならないことはないし、今日しなかったから明日もしてはならないことは、ひとつもないし。
私は今まで「静かでおとなしい」という性格を抱えて生きてきたけれど、明日から急に「にぎやかで積極的」な私になってもいい。
何においても、「同じようにしなければならない」ことは、ないんです。
その前提で、じっくり自分に問いかけます。
「掃除をしてもしなくてもいいけど、私がしたいのは、まず休むこと? それとも、綺麗な部屋でくつろぐこと?」
休みたければ休むし、綺麗な部屋でくつろぎたいなら、掃除をします。
自分時間に、本を読みたいか・昼寝をしたいか・ランチに行きたいか・誰かに会いたいかも、毎日自分に訊いてみます。
予定が変わってもいいし、予定通り過ごしてもいい。
どちらでも、いい
「同じでもいい」「同じでなくてもいい」
相反する真理は、常に私の中にあります。
昔の私だったら、どちらが正しいのか、たったひとつの答えを出そうとしていたはずです。
でも今は、「どちらも間違っていない」「だから、どちらでもいい」という緩さを、持てるようになりました。
大事なのは、どちらが正しいかではなくて、どちらを選んだ方が、そのときの自分は心地よいか。
そのときの自分を愛せるか。
「だから、どちらを選んでもいい」と思える柔軟さは、39年生きてきて、私が手に入れたもののひとつです。