カレンダーの上では、もう夏も終わりの時期。
道路沿いのお宅に、ひまわり畑を見つけました。
小ぶりのひまわりが、みんなして太陽を向いて立っています。
私の来た方からは、ちょうどひまわりの後ろ頭が勢揃いしているように見えて、可愛らしい光景でした。
その姿に、小さな子どもたちを連想します。
幼稚園児ぐらいの子どもたちが、先生の方を向いて、元気にお返事している教室の中。
揃っているようで、ちょっぴりバラバラなのがまた、可愛いんですよね。
ところが、想像の中の子どもたちが、そのまま制服を着た中学生ぐらいに変わったとき、ぞっとしました。
統率の取れた、けれども色彩のない風景に見えたからです。
これは、私の記憶の中の教室だ。
クラスメートの後ろ頭を見ながら、なぜこうして揃って座り続けているのかわからないまま、何となく過ぎていく時間。
そのときは、これがあたり前だったけれど、今思い出してみると、とても異質な空間に見えます。
同じ歳の子だけが、同じ服を着て、同じ方向を見て、座り続けている。
大人になってからは、そんな光景に出会うことは、まずなくて。
学校って、何て不可思議な場所なんだろう、と思いました。
――もちろん、実際に自分がその中にいたときは、ざわめきも色彩も感じていました。
楽しかったことも、たくさんあった。
でも、個々の友人や出来事ではなく、「教室」そのものの記憶は、無彩色な後ろ頭の風景なんです。
ちょっとした衝撃でした。
娘や息子たちは、教室の風景を、どんなふうに刻んでいくのかな。
いつか、聞いてみたいです。