「何の見返りもなくてもいいと思って、あの人にこんなにしてあげているのに、感謝の言葉ひとつもない」
ある日、憤懣やるかたないといった風情で、語られました。
――いろいろ、突っ込みたいところはあるけれど…。
物やお金は返していらないが、「ありがとう」の一言はほしい、ということなのでしょう。
その気持ちはわかるけれど、口に出してしまった時点で、もう見返りを求めちゃっていますよね。
私もそのように言われたことがありますし、自分にも改めるべきところはあるにせよ、善意の押し売りほど疲弊するものはありません。
「こんなにしてあげているのに」とは口にしないでおこう、と固く誓いました。
40年間生きてきて、今でも納得できず、絶対に私は言わないと決めた言葉が、あと2つあります。
ひとつは、多感だった中学生の頃に、未成年が被害者になる事件が続き、父方の祖母が言ったこと。
「信心が足りなかったから、そんなことになる。前世で悪事を働いたから、今その報いを受けているんだ」
言いたいことは、わかるんです。
私なんかとは比べ物にならないほど信心深い祖母でしたし、自分自身を諫めて高めるには、いい考えかもしれません。
だけど、今この瞬間、被害者になって苦しんでいる子どもや親を目の前にしても、そんなことが言えるのか、と。
もしも私が何らかの事件の被害者になっても、おばあちゃんは悲しんではくれないのか、と。
そんなはずのないことは、頭ではわかるのですが、感情がついていきませんでした。
これは、他人に対しては、絶対に言うべき言葉ではないと、強く思いました。
もうひとつは、両親からかけられた、何気ない言葉です。
私は昔、小説家になりたくて、高校卒業後には専門学校へ行きたいと考えていました。
学校へ通ったからといってなれる職業でないことぐらいはわかっていたけれど、一度でいいから、好きなことを肯定してもらえて学べる環境に行ってみたかったんです。
クラスの端っこで隠れてペンを走らせるのではなく、のびのびと小説を書くことができて、悪口や噂話ではないお互いを高める会話ができる学校。
両親は、大学卒業という学歴は確保しておいてほしい、大学を卒業してもまだ行きたいと思ったら行かせてやるから、と言いました。
激しい親子喧嘩の後、それならば…と、私は短大を選びました。
短大+専門学校で、ちょうど4年制大学と同じぐらいだな、と。
そもそも恵まれた環境を与えてもらうしか考えていない私は、確かに世間知らずで甘かったし。
実際に学歴に助けられたこともありますし、両親に感謝していないわけではない。
でも、短大卒業を間近にして「約束通り、次は専門学校に行きたい」と言ったときに、
「いやいや、次は就職だろう。まだ諦めてなかったのか。大学に通っている間に、気が変わると思ったんだけどなあ」
軽い調子だったし、悪気なく本当に驚いたふうでもあったので、親としての本音だったのだろうと思います。
それが、ひどく衝撃でした。
この人たちは、子どもがやりたいと夢見てやってきたことを、まったく本気にしてはくれないのだ、と。
私は、自分の子どもには、絶対に言わない。我が子の夢を軽んじたりしない。
親から受けた子育てを、肯定と否定の間で揺れ続けていた私に、1本の線が引かれた瞬間でした。
どちらも、小さな出来事の、ささいな言葉です。
でも、決定的に何かを損なった言葉です。
ブログを始めるときに、好きなことだけ、読み返して幸せになることだけ書き残しておくと決めていました。
今日は、読んで幸せな気持ちになる内容ではないかもしれないけれど…。
自分の中の上澄みだけでなく、どろりとしたものも出してみたい、と思ったので、書いておきます。