ロッキングチェアのある暮らしに憧れていました。
大人になって、ブランコで酔うようになってしまうまで、私にとっては「お姫さまの椅子」だったのです。
先日、世界名作劇場の「小公女セーラ」の歌が聴きたくなって、You Tubeを探しました。
大好きだったあの歌が、いつでも聴けるなんで…本当に便利で、ありがたい時代です。
セーラとエミリーとロッキングチェアが、夜空に舞い上がるオープニングが、脳裏にひらめいて。
私のロッキングチェアへの憧れは、これがルーツだ! と、はっきり思い出しました。
小公女セーラ、大好きだったものなあ…。
で、その憧れのロッキングチェア、実は昔、実家に置かれていたのです。
幼児期か、小学校低学年ぐらいの頃かな。
木製の枠に花柄の座面のロッキングチェアと、お揃いの柄のひじ掛け椅子と、背丈ほどもあるライトスタンドと。
親が買ったものか、いただいたものかはわかりませんが、応接セットのような一角に、乙女心をくすぐられたものです。
姉妹の争い
私と3歳下の妹は、当然、ロッキングチェアの取り合いになりました。
今にしてみれば、椅子が揺れようが揺れまいが、どちらでもいいのに(笑)。
お互いに、どうしても座りたくて、よく喧嘩になっていました。
ある日、ロッキングチェア以外にも、母からの言葉や、それまでの喧嘩の積み重ねがあり、沸騰するほど激しい怒りがこみ上げてきた私。
感情に任せて、ロッキングチェアにちょこんと座っていた妹の両足を、思いきり引っぱったことがありました。
足が引っこ抜けるのではないかという、手に残った感触から一瞬遅れて、自分が絶対にやってはいけないことをしたのだと、直感的に理解しました。
妹の大きな泣き声と、母の激しい叱責の中で、私も涙を流しながら、それでも「ごめんなさい」と口には出せなかったのだけれど。
本当は、謝ったら楽になれたのかもしれないけれど、できなかった。
ただ、それきり二度と、どんなに腹が立っても、決して同じことはしませんでした。
「ごめんなさい」も、ちゃんと言えるようになろうと思いました。
何十年過ぎた今でも、叱られる前に後悔と絶望が押し寄せてきた、あの瞬間を覚えています。
その場で「ごめんね」って言えなくても、ちゃんと理解はできるし、反省もできる。
大人になってからも強烈に覚えているぐらい、教訓として染みついている。
だから大丈夫だよ、本当はわかっているんだよね。
…と、素直に謝れずに、涙でむくれる我が子を、遠い昔の自分に重ねて見つめる母でした。