変わったら、私は私じゃなくなるの?

平野 麻子 さんと、お話ししました!

感じたことは、たくさんたくさんあったのですが、今日はその中から、おもしろかった話をひとつ。

いま私は「環境が変化することが怖いな」って感じていて、

その理由が「私が私じゃなくなるような気がするから」だと思っていたんです。

【変わったら、私は私じゃなくなるの?】

そう訊ねていただいて…いや、そんなことはないよね、と。

#私は私じゃん

#私なに言ってんのとすら思ったw

怖いのは、変化することじゃなくて。

それによって、自分のどんな部分がどう出てくるのかわからなくて、今とは違う自分が出てきたときに、

周りから、特に家族からどう思われるかの“評価の変化”が怖いんです。

そうやって人の目を気にしちゃうところが好きじゃなくて、

「私が私でなくなるような…」とか、駄々をこねてみたりしていたんですね。

で、自分で思っているよりも全然、感情をフラットに感じていなくて、優劣をつけていたなあ…って、ズシンときました。

変化を恐れること、動けないことはいけないことだ、と無意識に思い込んでいた。

さらにいうなら、変わろうとしなかった昔の私のことが嫌いで、

変わろうとしたときの自分のことは、頑張ってる感があって好きになりやすかったから、

「変わらなきゃいけない」「変わり続けなきゃいけない」みたいに、いつの間にか信じ込んでいた。

動機が「変わりたい」の間は、それでよかったんだけれども、

「変わらなきゃいけない」になったとき、そうできないと、自分がつらくなるんだな、と。

しかもですよ。

本当は、私の中には「変わるのしんどいわ」とか、「いま動くのめんどくさいな」とか、めちゃくちゃ人間くさい気持ちがあるわけで。

それをまた「そんな私、好きになれないよ。だめだなあ」と思っているから、「怖い」になる。

#自分を好きでいなければならない病

#嫌いよりは好きが楽しいけど

#それだって義務じゃなくて権利

でも実際は、怖がらずにひょいっと動き出すときもあるわけなので、今の私がやっていたのは、

「怖い」で耳触りよくまとめて、やらなくても自分で自分を許す理由を作ろうとすることで。

もう「許す許さない」になっている時点で、やっぱフラットに受け入れてないんだあ、って。

#ひとり知恵の輪みたいな私

#どこに悟り開こうとしてるのかw

そして!

今までなら「そんな自分じゃだめだ」「もっとできるようになろう」っていう、

何かしら学びや経験として活かしたい、活かさなきゃ、になっていたけれど、

それだって、必ずしもそこに結びつかなくてもよくて。

必死に「変わらなきゃ」って思う私も、「だってやりたくないもん」って思う私も。

「フラットじゃないなあ」って感じた私も、取り繕おうとしている私も。

全部ちゃんと味わうと、やっとそこから「じゃあ私はどうしたい?」の段階になるんだよなあ、って思いました。

いや、私ってめんどくさくて、おもしろい奴!

そうやって笑えると心地よいので、今日はそれが嬉しかったです。

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