【noteエッセイ】うちのオバアさま

うちには、オバアさまがいる。

私にとっては義理の祖母にあたるのだが、「おばあさん」でも「ばあちゃん」でも「祖母」でもない。

あえて「オバアさま」と呼ばせていただこう。

御年88歳、認知症が絶賛進行中で、昔よりは老いたものの、気力体力は今でも、採れたて野菜のようにシャキシャキ元気。

地元の人から聞く強烈なエピソードは、枚挙に暇がない。

私が結婚した当時より、町内で逆らってはいけないと言われた御三家の一翼を、長らく担っている御方である。

つまり、なかなかの曲者でもあらせられる。

そんなオバアさまの口から語られる武勇伝を日々聞きながら御用をうかがい、ときには数時間コースで耳を傾けるのが、目下私に与えられたお役目なのだ。

理不尽さを感じないでもないが、まあ絶対王政というのは、そのようなものなのだろう。

ちなみに、同じ話で数時間ループ可能な発語性能を搭載しておられることと、もとより情熱的な性格との相乗効果か、なんとも苛烈な持論が展開してゆく。

ただ、一貫してぶれないのが「自分は正しいのだ」という姿勢。

自らの価値観や行動、苦労や努力、そのすべてが正義であるということを、1ミリたりとも疑っておらず、もはや信念と言ってもいい。

「相手に迷惑ではないだろうか」「これは善意の押しつけにならないだろうか」「果たしてこれが正しいのだろうか」

と、何につけ自信が持てない私にとっては、

「自分が嫌われ迷惑がられることなどあり得ない」と構える堂々たるさまは、一周回って清々しく見えるほどである。

また同時に、そうまでして自己の正当性を主張し続けなければならない心境なのだと思うと、反抗期の子どもを見ているような、ほんの少しの可愛さがなくもない。

そんな内情を、多少なりとも知る私の実母が、こうつぶやいた。

「人間、マイペースが長生きの秘訣よ」

…そうかもしれない。

うちのオバアさまは、本日も大変に元気である。

採れたて野菜を超えて、獲れたて魚介になりそうな勢いだ。

世界平和のためにも、願わくば、心穏やかに天寿を全うしていただきたいものである。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする