世界は、美しくて、やさしいんだ、って。
わたしが本当にわかったのは、長女が生まれた年のことでした。
もう20年近く前になります。
切迫早産という症状で緊急入院し、絶対安静となりました。
24時間ずっと毎日、点滴が刺さって寝たきりになるって、人生初めての経験でしたねえ。
わたしが知っていたのは、正常な妊娠・出産だけだったので、
まあ不安やら気苦労やら、それなりに抱きながらも。
家族と病院のスタッフさんたちに支えられて、なんとか無事に出産したのです。
ところが、2ヶ月ほども寝たきりだったわたしの体力は、おそろしく落ちていて。
産後、夜の病室で娘を抱き上げたときに、ものすごく怖くなりました。
このちいさな生き物は、もしも今わたしが、ほんのちょっと手を滑らせでもしたら、床に落ちて死んでしまうんだ。
わたしが、守らなきゃいけないんだ。
震えながら、強く思ったのを覚えています。
退院してしばらくは、実家で過ごしていたのですが、やはりなかなか体力が戻らない。
家の中を歩くので、やっとです。
いまは両親の手助けがあるけれど、自宅に帰ったら、わたしはやっていけるんだろうか。
ちょうどそのころ、生後まもない赤ちゃんとお母さんが犠牲になる事件があって、
テレビや新聞からは、連日のように痛ましいニュースが飛び込んできて、
わたしは苦しくて、つらくて、不安でたまらなくて。
もしもわたしが、そんな状況になったら。
わたしは、この子を守れるだろうか。
この恐ろしい世界から。
日に日に成長する、かわいい娘。
近づいてくる帰宅の日と、見ないふりをしたままの不安。
ある日の夕方、母が言いました。
「気分転換に、少し外を歩いてみたら? 娘ちゃんは見ておくから」
部屋着のまま、玄関のサンダルをつっかけて、表に出てみました。
まだ少し暑さの残る9月。
夕焼けがまぶしくて、わたしは目を細めます。
あたり一面の、オレンジ色。
広がる田んぼも、遠くに伸びた空も、黒い影を落とす山々も。
全部、きらきらと、夕焼け色。
わたしが子どものころ、ずっと見ていた夕焼けが、
いまも変わらず、そこにありました。
ああ、世界って、美しかったんだ。
世界って、やさしかったんだ。
ほろほろと、涙がこぼれました。
じんわりと、体の奥があたたかくなりました。
わたしは、大丈夫だ。
なんの根拠もないけれど、心からそう思えました。
それから十数年、いろんな土地で子育てしてきましたが、
たくさんのやさしさに助けてもらいました。
階段でベビーカーを抱え上げてくれた、
サラリーマンやマダムや、若い女の子たち。
子どもを抱っこしていたら、あたたかな言葉をかけてくれた、
お店の人、ご近所の人、通りすがりの人たち。
名前も知らない、あの人たち。
みんな、みんな、やさしかった。
あの日の夕焼けがあったから、わたしは、
世界の美しさとやさしさを、信じて生きてこれたのです。
