子どもにクソババアと言われたら(田村節子・高野優)

長女の思春期に備えて、心構えを作るべく、読んでみました。

この2年間ほど、学校に行けない娘とは、一心同体のように過ごしてきました。

最近は、親より友達を優先したがったり、自分と他人について考えて落ち込んだりと、心身ともに自立に向かっている時期のようで。

隣で支えるステージは、そろそろ終わりを迎えそうです。

そして、私にも覚えがありますが、理由もなくイライラしている様子も、よく見られるようになりました。

「クソババア」と言われる日も近いかもしれません。

羅針盤があれば

タイトルの通り、子育ての羅針盤として、「親と子が幸せになるXのグラフ」が紹介されています。

そして逆に、親が陥りやすい「親と子の幸せが遠くなるYのグラフ」も。

XとY、それぞれのパターンを3つの時期に分けて、具体的な場面を例に挙げ、一問一答式で書かれています。

例えば、「子どもが友達と何を話しているのか心配」「干渉しないで!」「どうしてあれもこれもダメなの!」

親が心配し、口うるさくなりがちな事柄について、子どもの気持ちや発達段階を解説してある内容です。

Yのグラフに、思い当たることも多々。

まだまだしっかり反抗できる親子関係にはなっていないのかも、と反省です。

本で読めば、子どもの気持ちも予想できるし、理解できるんですよね。

でも、実際に我が子に対しては、その場で適切に応じられる気がしません…。

慢性的に不機嫌な子どもを相手にしていたら、つられてイライラしてしまいそうだし。

けれど、羅針盤があれば。

たとえその瞬間は苦しくても、「今はこんな時期で、これからこんなふうに成長していくんだ」という見通しがあれば。

それだけでも、少しは楽になるんじゃないかな、と思うのです。

「子育ては、いつだって軌道修正できる」

最後に、そう書かれていました。

ただ、今までYだったものがXになる過程で、親には不快な感情がこみ上げてくるかもしれません、とも。

けれど、

これらの(不快な)感情は子どもが自立するときには、つきものの感情だと腹をくくりませんか。

これができるかできないかが、軌道修正できるかどうかの分岐点となります。

軌道修正できるかどうかの分岐点をうまく通過するには、よい意味での諦めが必要となります。

(中略)

子育てにおける「諦め」とは、子どもは自分とは違うひとりの人格だと悟り、少しずつ子離れをしていくことだと捉えてください。

そのためには、子育ての羅針盤であるXのグラフを頭において、子どもの気持ちや考えを尊重しつつ、親も自分自身のこれからの人生を楽しむことだと思います。

すると人生を楽しむ親をひとつのモデルとして、子どもは自立していきます。

なるほど、つまりは。

私にとっての苦手な、怒りや悲しみなどの感情と、喧嘩や雰囲気の悪さなどの出来事が起こる、その分岐点を、越えられるかどうか…ですね。

苦しい時期は、終わりがないように感じてしまいますが、羅針盤を思い浮かべながら、過ごせたらいいな。

ふり返れば、乳幼児時代の子育ても、同じですね。

いつ終わるのかわからない授乳に夜泣き、睡眠不足で疲れ果てた心身。

いつか終わる、終わったら懐かしくなると言われても、実際に辛いのは今このときで。

それでも、子育てを重ねるごとに、見通しが持てる分、気持ちは楽でした。

思春期も、きっとそうなんだ。

私が気をつけることは、自分本位なYのグラフになっていないかどうか。

ちゃんとXのグラフを進んでいるかどうか。

たとえ子どもと衝突することが苦しくても、「おわりに」に高野さんが書いていたように、

全身でぶつかってくる姿を前にして、

黙って耐えるのも違う気がするし、

理解があるふりをするのも、どこか違う気がする。

正々堂々、誠心誠意、ぶつかっていこう。

目的地を見失うことなく、思春期の航海を、最後までやり遂げたいと思います。

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