「あるがまま」を考える

ある日、長女が友達に話していた台詞です。

「私もいつかは、お母さんみたいに、前向きで気楽な人になれるかな~(笑)」

以前は「大人って大変そう」の代表格だと思われていたはずなのですが…。

その頃はしんどさ満タンだった私のことが、今ではそんなふうに見えているんですね。

実は、「お母さんは大変だから、私が頑張らないと」という優しい気持ちが、娘の苦しさのひとつでもありました。

けれど、のほほんとしたお気楽母だと思ってもらえたなら、子育てひとつ成功かな、という気がします。

ただ、ちょっぴり気になったことが。

先の言葉の限りでは、長女は今、「前向き」「楽観的」=いいこと、という認識なんですよね。

でも、娘は何事も真面目に捉えて、深く考える子どもです。

素晴らしい能力で、個性の持ち主です。

生きている中で、慎重さから後ろ向きになったり、思慮深さから悲観的になったりするだけのことなのです。

それがよくないことだと感じているなら、そんな自分を好きになれるかな。

自分のことを、嫌いになってしまうのじゃないかな。

それは、私の願いからは、遠ざかってしまいます。

善悪をつけない

品田さんの講演会でも、「あるがまま」のお話がありました。

「長所と短所は紙一重」なんて言われますが、見方を変えたら長所にも短所にもなるような物事を、いちいち善か悪か、正しいか間違っているかで捉えようとするのが、おかしいんですよね。

どちらかを正しいと思うと、もう片方を否定することになります。

正しくなれない自分のことも、否定してしまいます。

「そのまんま」で、いいも悪いもないんだと思います。

だから、娘が前向きだろうと後ろ向きだろうと、本人が「こんな自分なんて嫌い」と苦しまなければ、それでいい。

私の場合は、今の方が生きやすいから、自分には合っていたというだけで。

前向きで楽観的な生き方が正しくて、慎重で思慮深い生き方が間違っているわけでは、絶対にないのですから。

「お母さんみたいになっても、ならなくても、どちらでもいい。

あなたは、あなただから素敵なんだよ」

そのことを、子どもたちに伝えていきたいです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする