風の強い日に、空を見上げると、雲が群れをなして流れてゆきます。
その姿は、家路を急いでいるようにも見えて、ああ私も行かなきゃ。と思うのです。
でも、どこへ。
行かなきゃ。であって、帰らなきゃ。ではない。
だからきっと、
「おかあさん、かえろう」
私の指をきゅっと握る、ちいさな手のひらに導かれて帰る場所は、いつものわが家には違いないのでしょう。
ただ、どこかへ行かなければならない気持ちは、線香花火のようにしばらく、私の内側にちいさく燃え続けています。
そうして、わけもなく焦っている自分に気がつくのです。
ここではないどこかへ行こうとするときは、私ではない何者かになりたいとき。
それはたいてい、自分に確信がないとき。
大地を踏みしめて根を張る覚悟も自信もなくて、遠い空の向こうに流れていきたいと。
今にも雲になりそうな私を、子どもの手が、風船の糸をつかむように、しっかりと繋ぎ止めてくれていました。
やがて、親子で手を繋いで歩くこともなくなりました。
ふわりと力を緩めると、するりと手から抜けてゆく子ども。
いつか見上げた雲よりも軽々と、私の知らない未来へ流れてゆきます。
昔あんなにもゆらゆらしていた私は、いつしかどっしりと根を張って、この場所から動けずにいる。
子どもの旅立ちをただ見送る、一本の木のようでした。
風の強い日、空を見上げると、今日も雲が群れをなして流れてゆきます。
私の根はもう動かないけれど、小さな葉っぱを風にのせて、たくさん空へ飛ばしました。
私は私としてここに生きながら、どこまでもゆける自由を手にしていたのでありました。