美しさに向かう

小学6年生の長女が、体重を気にし始めました。

いよいよ来たか…という感じですね。

生まれたときから小さくて細っこい子だったので、年相応の女の子らしく、ふっくらしてきたことに、私はむしろ安心しているぐらいなのですが。

思春期女子にとっては、やはり重大な問題のようです。

周りの大人たちからは、いろんな言葉をかけててもらっています。

「体はまだ、完成形じゃないんだよ。これからどんどん変わっていく」

「身長から成長する子も、体重から成長する子も、いろいろいるのが普通のこと」

「ダイエットを頑張りすぎて体を壊すより、ぽっちゃりでも元気な方が、みんな嬉しい」

あげく私なんて、

「体重なんか、正直なところ、言わなきゃわからないって!」

…適当な母親です(笑)。

もちろん、もっともらしいことも、たくさん挙げてはみましたけど。

それで解決するわけではないことも、わかります。

「でもやっぱり、気にしちゃうよね。

お母さんは、いくらでもいろんな理屈をつけてあげることはできるけどさ。

結局は、○○ちゃんが心から納得しなきゃ、解決しないよね」

私自身も、10代のときはそうでした。

娘も、面と向かって「太っている」「デブ」と否定的に言われたわけではないし、仲良しの子が親しみを込めた冗談で言う程度のことだと、自分でもわかっているのだそうです。

それでも、なお…という、自身の問題なんですね。

悩む理由、悩まない理由

それも、私なりに娘に伝えました。

学校は、同年齢の子どもが集まって同じことをする場所だから、できるできないとか、大きい小さいとか、他人との違いが気になりやすいのは当然です。

けれど、大人になってからは、そんな特殊な状況はほとんどありませんし、年齢も性別も体型も、性格だって障害の有無だって、いろんな人がいてあたり前。

私が今は体型を気にしないのは、学校のような環境にいないから、が1つ目の理由です。

2つ目は、もう結婚しているので、体型で異性を惹きつけなくてはならないような状況ではないから。

3つ目は、子どもが生まれて、自分の体型で悩むよりももっと大切なことが、たくさん増えたから。

そして何より、4つ目は、自分のことを好きになれたから。

家事ができてもできなくても、立派なお母さんじゃなくても、私は素敵だし、価値は変わりません。

娘も同じ。

勉強ができてもできなくても、運動が得意でも苦手でも、太っていても痩せていても、何だってあなたは素敵だから。

悩む気持ちもわかるけれど、「こんな自分は嫌だから、だめだから」のマイナスから入って痩せようとすると、すごくつらくなるんです。

だから、できれば、「私はこのままでも十分素敵だけど、こうなったらもっと楽しいかな」という、ゼロ地点やプラスからスタートする方を選んでほしいと思っています。

長女がどう受け取るかはわかりませんでしたが、彼女が学校に行けなくなってから、私が教わった人生のことを、精いっぱい伝えました。

――考えてみれば、こういう考え方にシフトしてから、きちんと口に出したのは、初めてかもしれません。

娘と話したことで、私もまたひとつ、今の自分への確信を深めることができました。

長女の答え

数日後の夕飯どき。

長女は「お母さん、野菜もちょうだい」と、いつもより多めにサラダを食べていました。

「何、体重気にしてるから?」と訊ねると、

「ううん。気にはなるけど、気にしすぎないようにはしようと思う。でも、健康にはいいかなって」

ああ、この子はやっぱり、私より頭がよくて、生きる力がちゃんとある。

すぐに気持ちが割り切れるものではないけれど、私が伝えたかったことを理解して、自分なりに落とし込もうとしてくれていたのです。

娘の答えに、深く同感でした。

「そうだね。気に病まずに、心がけるぐらいでいられたら、いちばんいいね」

私の言葉に、娘は小さく笑って、うなずきました。

ココロでやせるダイエット」「すぐ死ぬんだから」「人はいくつになっても、美しい」などを読んで、少しずつわかってきたのですが。

ありのままの自分を愛せているかどうかで、美しさに向かう心持ちが、まったく変わってくるのだということ。

気に病まず、悩みすぎず。

ちょっぴり心がける、気を遣う、気に留める。

そんなふうに楽しい気持ちで、美しさに向き合えたら、素敵ですね。

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