春になり、暖かくなると、なぜかジュディマリが聴きたくなります。
特別好きだった…というのでもないのだけれど。
90年代の音楽は、いちばん記憶に残っているからか、安心して選曲できます。
知っている歌だと、家事をしながら聴き流しやすいし、気分も上げられるので。
音楽は、当時の出来事や感情を、鮮やかに蘇らせます。
記憶の鍵になる存在ですね。
そんな10代20代に親しんでいた音楽をきいて、ふと気がつきました。
どの曲も、彼氏や友達や家族が「好きだ」「いいね」って言っていたものだ…と。
歌とともに「これ、めっちゃいいよね!」と話す顔や声が浮かんでくるんです。
そうか、いいのか。流行ってるのか。じゃあ「私も好きだよ、いいよね」。
思えば私は、彼氏や友達とは、まるっと相手に合わせようと、依存的な関係を築くことが多かった自覚があります。
相手の好きな音楽を好きになるのは、まだいいのですが、嫌いな音楽も一緒に嫌ってしまって。
私は、その歌やアーティストのことを、ほとんど何も知らないのに。
「歌ヘタだよね」「薄っぺらい曲」「かっこつけてる」「ナルシストでキモい」
相手の否定言葉を、そのまま自分の意見のように口にして生きてきました。
今改めて聴いたら、素敵な曲も、すごいなあと感じる歌も、たくさんあります。
私が本当に、自分の意志で好きだとか嫌いだと思った音楽は、いったい何があるんだろう?
相手と同じものを好み、否定することで、自分を確立させてきたような。
じんわりと打ちのめされながら、でも。
深く掘り起こしていくと、今も確かに好きな歌がありました。
たとえば、妹がよく聴いていた、SPEEDとラルクアンシエル。
どちらもつられてたくさん耳にしたけれど、SPEEDの初期の曲は、今でも好きです。
学生時代、親友と呼ぶ人が何人かいて、それぞれキンキ、ELT、ゆずのファンでした。
全部聴いて過ごした中で、ゆずの昔の歌は、やっぱり今も好きで。
人にはなかなか言えなかったけれど、セーラームーンと幽遊白書とスラムダンクの主題歌はどれも好きだし。
戦隊もののオープニングや、キン肉マンゴーファイトや宇宙戦艦ヤマトは、テンションが上がるから好き。
「残酷な天使のテーゼ」「魂のルフラン」「ゆずれない願い」「光と影を抱きしめたまま」「JUST COMMUNICATION」は、親友とのカラオケでは、ずっと歌い続けてきて。
誰かの影響を受けてばかりいたとしても、好きなものはちゃんと、私の中に積み重なり、残っているのかもしれません。
そうだったら、とても嬉しい。
心の中に、ぽかぽかした光が灯ったような気持ちです。