90年代のヒット曲集を聴いていました。
公衆電話とかポケベルとか、もうほとんど目に入らない文化が歌詞に出てくると、時代を感じます(笑)。
プリクラも、もうわからないのでは? と長女に訊いてみると、
「知らない。なんか写真撮って加工するやつだよね?」
との返事でした。
少なくとも、歌われるような流行りものではなさそうです。
自分にとって現役だった文化が失われていくのは、ちょっとした寂しさはあるけれど。
そういえば私も、子どもの頃に聴いた「お風呂が家にないので毎晩銭湯に行く」歌詞は、あまり現実味がありませんでした。
ただ、そういう時代もあったんだな、という。
歌詞に織り込まれている流行り廃りはあったとしても、いい歌はいいと感じるから、それでよし。
音楽は、その時代を反映する文化だなあ…なんて、しみじみ聴いていたのですが。
子どもたちが「うっせぇわ」を再生し出したときに、あれ? と思いました。
私の世代が「あー、あるある」と思う歌詞なんだから、この歌、けっこう昔の文化なのではないでしょうか。
いや、でも、歌っている人も作詞作曲した人も若いそうですし。
仮に、作り手や歌い手が私に近い世代だったとしても、世の中の共感を得ないと、そこまで流行らないのでは?
だとすると、歌詞にあるような慣習が、まだ実際にあるということなのでしょうか…。
そちらの文化こそ、流行らなくてもいいのになあと思ってしまいました。
若者時代に経験したことを、中年世代になった私たちがくり返しているとしたら、恐ろしい。
もしもそうなら、ここで止めたいものです。
戦争を体験した世代が、戦争を止めてくれたのと同じように。
――ちなみに、真面目に考えてみたのとは別の話で。
この「うっせぇわ」、普段は場を和ませるのに、なかなか役立っています。
たとえば、いくら言っても子どもがテレビの音量を下げてくれなかったときや、兄弟喧嘩の声に参りそうになったとき。
あえて明るく「うっせぇわ〜」と歌いながら、介入する私なのです(笑)。