「はてしない物語」と同様、きちんと読みたかった名作です。
ミヒャエル・エンデの2大作品、どちらもおもしろかったけれど…。
私の好みは「モモ」のほうでした。
概念的なのに童話的で、読みやすいのにどこまでも深い。
そうだ、つまり未来が過去に変わるからこそ、現在っていうものがあるんだ!
なぞなぞに答えるモモの言葉が、漠然としか感じていなかった「時間」の輪郭を、はっきりと浮かび上がらせてくれます。
大都会のせかせかした様子や、子どもたちに役立つことだけを覚えさせるための施設などが出てくるたび、どきりとしました。
私の中にも、灰色の男たちがいる!
「忙しい」「時間がない」とイライラして節約した時間で、いざ何をしたいのか?
物語を読み進めていくと、「何をしたいか」ではなく「どうありたいか」なのだな、と思います。
たとえば、こんなふうに。
子どもたちは道路のまんなかで遊び、車でゆく人は車をとめて、それをニコニコとながめ、ときには車をおりていっしょに遊びました。あっちでもこっちでも、人びとは足をとめてしたしげにことばをかわし、たがいのくらしをくわしくたずねあいました。
仕事に出かける人も、いまでは窓辺のうつくしい花に目をとめたり、小鳥にパンくずを投げてやったりするゆとりがあります。お医者さんも、患者ひとりひとりにゆっくり時間をさいています。
労働者も、できるだけ短時間にできるだけたくさん仕事をするひつようなどもうなくなったので、ゆったりと愛情をこめて働きます。みんなはなにをするにも、ひつようなだけ、そしてすきなだけの時間をつかえます。
今でこそ、「スローライフ」「ていねいな暮らし」などの言葉が、ずいぶん一般的になったと感じますが。
これは1973年の作品で、なお普遍的に現代に食い込んでくるということが、いちばんの驚き。
改めて、ミヒャエル・エンデ、すごいです!