小学校の授業参観に行きました。
道徳の授業で、
自分と人とのちがいについてのお話。
「みんなと一緒だと、安心する。
みんなとちがうと、不安になる。
そんな経験は、ありますか?」
「じゃあ、もしも、みんなが同じだったら?」
自分と、同じ顔。同じ服装。同じ身長、同じ年齢。
同じ性格。得意なこと、苦手なことも同じ。
中身も外見も、まったく同じだったら、どう?
子どもたちを見ながら、私も考えてみました。
うーん…人類が滅びる、かな。
みんな同じっていうことは、強い部分・弱い部分も同じだから、
種としての適応力が低くて、滅びるんじゃないかなあ。
あと、会話もなくなりそうですよね。
みんな同じなら、話さなくてもわかるから。
そうなると、使わない器官が増えて、進化どころか退化しそうな気がする。
バリアフリー自体は、実現しやすくなるのかな。
正解はただひとつ、になりますもんね。
たとえば、私は身長が低くて、目が悪いので、
ものの高さや大きさを、私基準に合わせれば、
誰も困らない世界になるわけです。
となると、バリアフリーという概念自体が、存在しないのだろうな。
そもそも、最初の質問に戻ると。
みんな「ちがう」という前提があるから、
同じであることに、安心するんですよね。
みんながまったく同じだったら。
小説のクローン世界ぐらいでしか、想像できない。
それって、今の自分たちにとっては、得体のしれない世界。
だから、恐怖や嫌悪が生まれるんじゃないだろうか。
子どもたちの「気持ち悪い」「怖い」という意見は、
そんな感情からきている気がします。
ほかにも、いろんな意見が出ていて、おもしろかったですよ。
「自分しかいなかったら、ごはんも作れないし習い事もできないし、困る」
「誰が宿題やってないかバレないから、宿題やらなくていい」
とかね。
授業は、個性から人権や障害の話になり、
一般的に「できないこと」に注意が向きがちになるのに対して、
パラリンピック・メダリストの圧倒的な「できること」を、映像を通して、
子どもたちに目の当たりにさせる構成は、よかったなあ。
そして、参観の終わりに、ふと思ったのです。
あっ…、みんなが自分と同じなら、
私は、私の書く文章しか読めないってこと!?
そんなの嫌だ! つまらない!!
ちがうからこそ、読むのが楽しいのに…!
というわけで、私の結論は、
「ほかの人の書いた本が読めないから、絶対に嫌だ」
に、行き着いたのでした。
