さくらんぼが大好きだ。
アメリカンチェリーではなく、プリンアラモードにのっているような缶詰めの真っ赤なのでもなく。
今の時期、パックに入って果物売り場に並ぶ、つやつやのさくらんぼ。
好きすぎて、自分のためにギフト箱を買ったこともある。
一粒ずつ、まるで宝石のように、丁寧に並んでいて、実に高貴なるさくらんぼだった。
私は普段、それなりに愛情深き母をやっているので、
子どもたちの好物であるおやつやおかずは、自分のぶんを減らす。
わが子に多く取り分け、喜ぶ顔を見たいと思う生き物である。
だが、しかし。
さくらんぼだけは、譲れない。
絶対に子どもと同じ数だけ食べるし、なんなら割り切れずに余ったぶんは、こっそりとつまみ食いする。
愛すべきさくらんぼは、何事もなかったように、私のお腹にころんと収まっている。
あまりに好きすぎて、体じゅうから執念がにじみ出ているのだろうか。
今日は次男が、母に一粒分けてくれた。
特別よ、とお菓子を与えられた子どものように、私の目はきらきらしていたに違いない。
遠慮なく受け取り「おいしいねえ、幸せだねえ、ありがとう!」と、ひとりごちて完食した。
こっそりつまんださくらんぼと、次男からの愛情がつまったさくらんぼ。
宝石みたいにふたつ並んで、たぶん今、私のお腹にころんと収まっている。