久しぶりの、アドラー心理学です。
本書のまえがきに、こんな文章がありました。
アドラー心理学の鍵概念というべき共同体感覚は、その定義を理解しても本当には理解したことにはなりません。
日常の生活の中での経験を通じてしか学べません。
しかし、いきなり水の中に突き落とされても泳げるようにならないように、何の手引きもなく身につくものではないというのも本当です。
漫画で描かれる具体的なエピソードを通じてなら自分の生活と容易に重ね合わせることができます。
これ、まさにそのとおりで。
アドラー心理学を実生活に落とし込み、さらに活かしていくのは、なかなか難しいです。
具体例が自分の状況と重なると、「なるほど」と体感で理解できることが多いので、漫画版は大歓迎!
3章の、引きこもりの息子を持つ母親のエピソードには、グサグサと刺さる言葉の数々が。
自分を世界の中心に置くために、周りの世界を切り取っていった結果が引きこもりなんですね……
症状の目的が同じなら、たとえひとつの症状がなくなっても、人は一瞬の躊躇もなしに新しい症状を身につける
そのツラさから抜け出すには「ギブ&テイク」という発想をやめることです。
子育ても介護も「ありがとう」という言葉を期待するのをやめればいい。
感謝されようがされまいが、相手に貢献できていると感じられれば、それでいいじゃありませんか。
生きることは「ギブ&ギブ」です。
覚えておいてください。
あなたが「他者の期待を満たすために生きているのではない」のだとすれば、
他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」ということを。
あなたの行動に対して、相手が怒ったりガッカリすることがあって当然です。
それはあなたが気にすべき問題ではありません。
最初のアドラー心理学の漫画でも、課題の分離のエピソードが響いた私。
今いちばんの悩みであり、必要なステップなのだと捉えています。
課題の分離は決して「対人関係の最終的な目標」ではありません。
相手との関わりを全部切ってしまって無関心になれ……というようなことではないのです。
現状をはっきりさせて、最善の道を見極めるためのステップなのです。
こうした語らいを経て、3章の最後のやりとりが印象的でした。
「いずれにせよ、勇気は必要ね」
「それは『幸せになるための勇気』と言えるのではないでしょうか?」
この言葉が、心臓を撃ち抜かれたみたいに、飛び込んできたんです。
そうだ、私に今いちばん必要なのは「勇気」だ、と。
心屋さんで言う、「好きなことをするには一番嫌なことをしなければいけないのです」。
コイケさんの「いいか、ドリームキラーが出てきたら、自分自身に試されている、と思え」。
斎藤一人さんの「弱気は相手をつけあがらせるだけ」。
宮島賢也さんの「親自身が『まわりの目』を気にしすぎていませんか?」。
Jamさんの「嫌な言葉は呪文だから、気にしなければ効かない」。
アーチャン・ブラームさんの「恐怖心があると、たいしたことのないことも大げさに考えて、どんどん不安になっていく」。
舛岡はなゑさんの「親がどうしようもなく頑固で、頭ごなしに押さえつけるなら、反抗して言い返すことです。親を説得する必要はないんです。言うことを聞かないことです。それは、悪いことではありません。大切なことなんです」。
今まで読んだ本や、オンラインサロンで出会ってきた「勇気」「覚悟」が、ぐるぐると円を描いてひとつになり、パンッと弾けたような気がしました。
目の前の“その場しのぎの安泰”ではなく、“幸せになるための勇気”を選ぶ。
アドラー心理学は、その道しるべになる考え方です。